2016-09-18
Vol.0649
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆   ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/09/18(第649号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪―― -☆☆---------☆☆------------------------------------------  ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/ ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇ このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに 浮上している心象風景の報告です。 現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。 pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか? 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名 ------------------------------------------------------------ ◇◇ もくじ ◇◇ 1.十年目の棚卸し 2.編集後記 ------------------------------------------------------------ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 1.十年目の棚卸し ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 土曜日ですね。 写経ヨーガのはじまりです。 なんか嬉しい。 (*^_^*) さて、またまた一週間が過ぎて、 楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、 お付き合いいただく今がやってまいりました。 『アセンション館通信』配達人の pari です。 みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか? このメルマガは十二年ほど前に 『アセンション館通信』などと名乗って 当時まだそれほど一般的でもなかった情報を いかにも知ったかぶりで言いふらすために はじまりました。 地球がアセンションするということ、 その波動の上昇にあわせて、 惑星地球の上に乗っているわれわれも これまでのゲームでの思い込みを手放して、 新たな自分好みの行き先を 定めなければならないのだと思ってたのです。 真理の存在を信じていて、 それは言うまでもなく。 この現象世界のなかにあるのだと思っていました。 だから、 誰もが幸せになれる世界を目指して、 突き進んでいくのが探求なのだと。 自分ではそのつもりでした。 ただ、pariパターンの場合、成長の過程で   <何故にすべては始まってしまったのか?> という少し変な観念を仕込んでもいました。 今思うに、これはもちろん、 pariパターンの発明などであるはずもなく、 道具としてのpariパターンに積み込まれた ジェット燃料だったのかもしれません。 というのは、いったん思考が   <何故にすべては始まってしまったのか?> という問のあたりでうろうろすると、 たいていの観念的真理は、 ただちに無効化されてしまったからです。 なぜなら、 とても真理らしい観念や物語に遭遇しても、 “もしそれがすべてが始まった理由なら、  最初からそのように幸せだったらいいじゃないか。  途中のこんな七面倒臭い不幸や細工が、  いったいなんのために必要なのか?” という理屈が頭もたげてくるからです。 この疑問にはあらゆる物語的理想や真理の説得性を 木っ端微塵にしてしまうだけの潜在力があったようです。 永遠の時間があって、 無限無量の試みがなされた挙句の果てに、 今なおその物語的理想や真理が 実現していないではないか、と。 Oshoからは 「生とは解決すべき問題ではない、  生きるべき神秘だ」 と教わり、 そのように納得しなければならないのだ と思い込もうとした時期もあります。 しかし、どうやらpariパターンは そのために用意された道具ではなかったようです。   <何故にすべては始まってしまったのか?> という疑問が完全に解体していませんでした。 この『アセンション館通信』が始まってから わずか一年後に 今は亡き友人のナンダンから 「俺はもう読まないからパリトショにやるよ」 と言われて、 出版後まだ間もない『私は在る』を譲り受けます。 (-||-) この本は高かったので自分では買わない本でした。 あまり期待して読みはじめた記憶はありません。 でもなぜか、この『私は在る』の言葉は pariパターンの理屈マインドをヒットしました。 わかったとは言えないけれど、 これは自分にピッタリの本だと確信しました。 やがて良太さんのありがたい提案に乗って、 マハラジの言葉の写経をはじめます。 下垂体腫瘍の手術で入院したのは、 その半年後くらいでした。 『私は在る』を譲り受けてから一年後のことです。 すでにナンダンはいませんでした。 そして退院してからは もう、アセンションについて書くのは 不可能だと思いました。 それから現在はちょうど十年になります。 にもかかわらず、 相変わらずしていることと言えば一週間にいちど、 このメルマガでマハラジの言葉や その周辺の言葉をなぞっているだけです。 どんな体験をしたわけでもない。 体験などいらないという言葉を 理解しようとしてきただけです。 ──────────────────  質問者 では、何が私を成熟させるのでしょう?      体験が必要なのでしょうか?    マハラジ  あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。  そうでなければここには来なかっただろう。  これ以上体験を積む必要はない。  むしろ体験を超えていかなければならないのだ。  あなたがいかなる努力をし、  いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、  それは単により多くの体験を重ねるだけで、  それを超えてはいかない。  本を読むこともまた、  あなたを助けはしないだろう。  それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。  だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。  もし探求から物質的、精神的、  霊的な何らかの恩恵を期待するなら、  あなたは要点をはずしているのだ。  真理はいかなる利点もあなたに与えない。  それはあなたにより高い地位も、  他者に対するいかなる権力も与えはしない。  あなたが得るのは真理、  そして偽りからの自由だけなのだ。    『私は在る』(p332) ────────────────── (-||-) > あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。 このマハラジの言葉を信じるしかありません。 そうでなければ、 マハラジの言葉を読む意味もない。 > もし探求から物質的、精神的、 > 霊的な何らかの恩恵を期待するなら、 > あなたは要点をはずしているのだ。 これはわかるような気がします。 > 真理はいかなる利点もあなたに与えない。 しかし……そうか。(-_-) > あなたが得るのは真理、 > そして偽りからの自由だけなのだ。 了解です。 というわけでこの十年間、 ああでもないこうでもないと、 マハラジの言葉に思い悩んできただけです。 それも、一週間に一度だけ。 それで、いったいなにがわかったか? いま、pariパターンという想念群で 何が確かなことがあるのか、 それを再確認しようと思います。 というのも、 じつは十年前の今日が、 地域の草刈りの後で 頭が痛くなって寝込んだ日だったのです。 https://www.ascensionkan.com/mm/vol134.html#6 十年はアッという間にすぎますね。 まるでこの十年は、 一向に深まらない理屈マインドにとって 想念の世界を諦めることが どれほどの難事業なのかという 証明みたいなものとも言えます。 なにしろ十年かけても、 まだ諦めきれないわけですから。 ──────────────────  何にもまして、  私たちは意識しつづけていたい。  あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、  意識しつづけることを望むのだ。  この体験への欲望に逆らって、  顕現すべてを手放さないかぎり、  解放はありえない。  私たちは罠にはまったままなのだ。    『私は在る』(p346) ────────────────── (*-_-*) つまり、 諦めるには諦めるだけの理屈がいる、 ということです。 そういうパターンには そういう道しかないわけですから。 ──────────────────  解放への道には何も立ちはだかっていない。  そしそしてそれは今ここで起こることができる。  だが、  あなたはほかのことにもっと興味がある。  そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。  あなたはそれとともに行き、それを見抜き、  それが単に判断と賞賛の誤りであることを、  それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。    『私は在る』(p475) ────────────────── > あなたはそれとともに行き、それを見抜き、 > それが単に判断と賞賛の誤りであることを、 > それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。 この「それ自体が自ら暴くのを見守」る行為を、 もしこれからすべて自分の個人的体験によって やろうとするなら、 それこそいくつの生涯があっても 足りるということはないでしょう。 ──────────────────  体験はただ記憶を後に残し、  すでに充分重い重荷に加えるだけだ。  あなたにこれ以上の体験は必要ない。  過去のものだけで充分だ。  そして、  もしそれ以上が必要だというのなら、  周囲の人びとのハートのなかに見入るがいい。  何千年かけても不可能な  多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。  他者の悲しみから学びなさい。  そしてあなた自身を救うがいい。  あなたに必要なのは体験ではなく、  すべての体験から自由になることだ。  体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。  あなたには何も必要ないのだ。    『私は在る』(p336) ────────────────── > 他者の悲しみから学びなさい。 (;_;) > そしてあなた自身を救うがいい。 (-_-) > あなたに必要なのは体験ではなく、 > すべての体験から自由になることだ。 ……。(-||-) むかし、 神保町の職場に勤めていたころ pariパターンはOshoの本に出会いました。 そして通勤電車のなかでこんな言葉を読んだ。 “三ヶ月間、他のものは読まずに、  これだけを読みなさい。  そうすれば、変化が起こる”、と。 そして、実際にそうしてみた。 行き帰りの電車の中では他の本は読まなかった。 すると、結局、 インドに行かなければならないことになりました。 帰ってきてからしばらくして出版された 山尾三省訳の『ラマナ・マハリシの教え』 http://tinyurl.com/2cs6x7y を買って読んでみました。 しかしこの本は、 当時のpariパターンには理解不能でした。 何を言っているのか、まったくわからなかった。 それから二十年以上が経って 『私は在る』を読んだとき、 語られている観念の領域に pariパターンという想念群が 接触可能になっていたのでしょう。 なぜかマハラジの言葉が ストレートにヒットしてきました。 たぶん、現在というタイムラインでは もっとずっと容易に接触できるのかもしれません。 そんなことはともかく、 いまですよね。 確実だと思えることが何かあるのか、です。 たとえば、こういうことは、 明らかなことなのか? ──────────────────  世界は矛盾でいっぱいだ。  それゆえ、  あなたは調和と平和を探しているのだ。  それらを世界のなかに見いだすことはできない。  世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。  秩序を見いだすためには、  あなたは内面を探求しなければならない。  あなたが身体の中に生まれて、  はじめて世界は存在を表す。  身体がなければ、世界はない。  まずあなたが身体なのかどうか、  探求しなさい。  世界を理解することは、  後にそれにしたがってやってくるだろう。    『私は在る』(p224) ────────────────── > 世界は矛盾でいっぱいだ。 それは完璧にわかります。 > それゆえ、 > あなたは調和と平和を探しているのだ。 たしかに。 > それらを世界のなかに見いだすことはできない。 そう。(-_-;) 今のこの瞬間はそう思うのだけれど。(*-_-*) > 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。 はい。(-_-) > 秩序を見いだすためには、 > あなたは内面を探求しなければならない。 それがどれくらい、はっきりしているのか。(*-_-*) というより、その探求が始まっているのか……。 > あなたが身体の中に生まれて、 > はじめて世界は存在を表す。 はい。 > 身体がなければ、世界はない。 わかります。 > まずあなたが身体なのかどうか、 > 探求しなさい。 自分が身体じゃないことは、 観念的にはわかっているつもりなのに……。 > 世界を理解することは、 > 後にそれにしたがってやってくるだろう。 そうなんだよなぁ。(-_-;) という具合で、 まず最初から脱線事故です。 要するに、 【秩序を見いだすためには、  あなたは内面を探求しなければならない。】 という、これだけのことが、 完璧に納得できていないということなのでしょう。 十年以上マハラジの言葉を読んできました。 しかし、これだけのことを本当に理解したのかどうか。 ──────────────────  世界の不幸はそれと関わるなかで、  あなたがあなた自身の欲望と恐れから  つくり出してきたのだ。  すべてはあなたが  真我の存在を忘れてしまったためだ。  スクリーン上の画像に現実性を与えた上で、  あなたはそれらの人々を愛し、  彼らのために苦しみ、  彼らへの救いを求める。  そうではない。  あなたはまず、  あなた自身からはじめなければならないのだ。  ほかに道はない。    『私は在る』(p62) ────────────────── (-_-;) > 世界の不幸はそれと関わるなかで、 > あなたがあなた自身の欲望と恐れから > つくり出してきたのだ。 これだけのことが、 本当に納得できているのか……。 マハラジから少しでも学ぼうとするなら、 まず、ここは突破しなければならない。 > あなたはまず、 > あなた自身からはじめなければならないのだ。 > ほかに道はない。 これは、けっきょくは 【まずあなたが身体なのかどうか、  探求しなさい。】   ということになるわけですよね。 pariパターンの場合、なぜか この悩んでいる存在が身体ではないということが、 最初からあまりにも自明だと思われていました。 ところがそこのところが、 理屈だけでは確信が深まらない……。 だからさらに十年以上をかけて これを理屈で理解しようとしてきたわけです。 効果はゼロではないかもしれないけど、 砂上の楼閣かもしれません。 やはり、 自分で確認するしかないわけです。 マハラジが言うには、 こういうことのようなのです。 ──────────────────  実際には、何の欠如も必要もない。  すべての仕事はただ表面上のものだ。  その深みには完全な平和がある。  すべての問題が現れるのは、  あなたが自分自身を定義し、  それゆえ限定したからだ。  あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、  すべての葛藤はやむ。  問題に対処しようとするいかなる試みも、  失敗せざるをえない。  なぜなら、  欲望によって起こったことは、  欲望から自由になることによってのみ、  取り消すことができるからだ。  あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、  一生という期間と、  身体という容積のなかに自分を押し込めてしまった。  それゆえ、  生と死、快楽と苦痛、期待と恐れという  無数の葛藤をつくり出したのだ。  幻想を放棄せずに、  問題を追い払うことはできない。    『私は在る』(p221) ────────────────── > 実際には、何の欠如も必要もない。 これも理屈マインドとしては納得できる話です。 むしろ、そうでなければならない。 > すべての仕事はただ表面上のものだ。 すべての仕事はただ表面上のものなんです。 > その深みには完全な平和がある。 やっぱり、ここですね。 これを体験的に納得しなければならない。 表面の想念群をかき回しながら、 完全な平和に到ろうというのは無理なのです。 > あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、 > すべての葛藤はやむ。 そう……思考が働いていなければ何の問題もない。 > 問題に対処しようとするいかなる試みも、 > 失敗せざるをえない。 これは、なぜ? > なぜなら、 > 欲望によって起こったことは、 > 欲望から自由になることによってのみ、 > 取り消すことができるからだ。 あぁ、そういうことなのか。(-_-;) けっきょく、 欲望から自由にならなければならないんだ。 > あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、 > 一生という期間と、 > 身体という容積のなかに自分を押し込めてしまった。 その定義を負ったままで、 平和に到ろうというのは無理なんだ。 > 幻想を放棄せずに、 > 問題を追い払うことはできない。 その路線はいい加減に諦めなさい、 ということだなぁ。(-_-) pariパターンという下根パターンは、 十年かけて、 それは無理なんだということを 理解しつつあるということでしょうね。 もうその路線は、 追求するだけの意味がないわけです。 ──────────────────  あなた自身を改善しようと試みてはならない。  ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。  変化するものは変化しつづける。  その間、  不変なるものは待ちつづけているのだ。  変化するものが  不変なるものへとあなたを連れていくと、  期待してはならない。  それはけっして起こらない。  変化という観念自体が偽りとして見られ、  放棄されたときにのみ、  不変なるものがおのずと現れるのだ。    『私は在る』(p541) ────────────────── > あなた自身を改善しようと試みてはならない。 これは夢のなかの境遇を改善しようとしてはならない、 という意味なのかなぁ。(-_-) > ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。 夢の場面の変化は夢の場面の変化の意味しかない。 どんなにまじめに追求しても、 見ている執着の解体にはつながらない。 > 変化するものは変化しつづける。 夢の場面は変化しつづける。 > その間、 > 不変なるものは待ちつづけているのだ。 夢を見ている執着の背後で、 そのドラマを可能にしているものは、 永遠に待ちつづけている。 > 変化するものが > 不変なるものへとあなたを連れていくと、 > 期待してはならない。 見ている夢のドラマの展開が それを見ている執着の解体につながると、 期待してはならない。 > それはけっして起こらない。 そんなことはかつて起こった試しがない。 太陽は地上のドラマを可能にしてはいても、 地上のドラマの展開に責任はないのだから。 > 変化という観念自体が偽りとして見られ、 > 放棄されたときにのみ、 > 不変なるものがおのずと現れるのだ。 現れるもの、変化するものが すべて偽りとして理解され 放棄されたときにのみ、 ドラマを見ていた執着は 自らの執着の無意味さを理解しはじめる。 ──────────────────  知覚されたものは知覚者ではありえない、  と覚えておくことを覚えておきなさい。  あなたが何を見ようと、  聞こうと、考えようと、覚えようと――  起こることがあなたなのではない。  あなたはそれが起こる当人なのだ。  「私は在る」という感覚のなかに  深く潜っていきなさい。  そうすれば、  かならず知覚の中心が、  世界を照らす光のように  普遍的であることを発見することだろう。  宇宙のなかで起こることはすべて、  沈黙の観照者であるあなたに起こる。  その反対に、  何であれ為されたことは、  普遍的で無尽蔵のエネルギーである  あなたによって為されるのだ。    『私は在る』(p538-539) ────────────────── 要するに…… > 「私は在る」という感覚のなかに > 深く潜っていきなさい。 ということだと思います。 なぜなら、 「私は在る」は夢のなかでも事実であり、 しかも夢の外にまで通貫している事実だから。 ──────────────────  「私は在る」は世界のなかにある。  しかし、それは世界の外に出るための  扉を開く鍵なのだ。  水面に踊る月は、水のなかに見られる。  だが、それは水によってではなく、  空の月によって生じたのだ。    『私は在る』(p217) ────────────────── > 「私は在る」は世界のなかにある。 はい、現象のなかの執着、自我ですら、 「私は在る」と言います。 > しかし、それは世界の外に出るための > 扉を開く鍵なのだ。 この「私は在る」の感覚だけは、 夢の外にまで通貫している。 > 水面に踊る月は、水のなかに見られる。 水面にちらちら揺れる月影……。 この現象のなかの執着、自我ですら知っている 「私は在る」の感覚……。 > だが、それは水によってではなく、 > 空の月によって生じたのだ。 この「私は在る」の感覚は、 現象のなかの執着、自我に由来するのではなく、 すべての顕現を可能にしている 非顕現である実在が可能にしているのだ。 ──────────────────  そこには、  何であれそれが知覚するものに  実在性を分け与える中心がある。  あなたが理解すべきことは、  あなたは実在の源であり、  実在を得るのではなく、  あなたが実在を与えるということだけだ。  あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。    『私は在る』(p361) ────────────────── > そこには、 > 何であれそれが知覚するものに > 実在性を分け与える中心がある。 そこにはつかの間の現れに 現実性を分け与える中心がある。 > あなたが理解すべきことは、 > あなたは実在の源であり、 > 実在を得るのではなく、 > あなたが実在を与えるということだけだ。 理解すべきことは、 わたしが執着をもって対象を見るとき わたしがその対象に現実性を与えている ということだけだ。 > あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。 わたしの存在感覚、 つまり夢への執着(自我)の存在感覚は、 実在(の存在性)の反映であって、 ほかのどんな支持も確証も必要としていない。 ──────────────────  結局、  幻想をつくり出すのはマインドであり、  それから自由になるのもマインドなのだ。    『私は在る』(p192) ────────────────── > 結局、 > 幻想をつくり出すのはマインドであり、 はい。 > それから自由になるのもマインドなのだ。 わかりました。 (-||-) ──────────────────  あなたがどこへ行こうと、  今、ここという感覚はつねにあなたとともにある。  それはつまり、  あなたは時間と空間に依存していないということだ。  時間と空間はあなたのなかにあり、  あなたがそれらのなかにあるのではない。  時間と空間に限定された身体との自己同一化が、  あなたに有限の感覚を与えるのだ。  実際には、あなたは無限で永遠なのだ。    『私は在る』(p535) ────────────────── > あなたがどこへ行こうと、 > 今、ここという感覚はつねにあなたとともにある。 わかります。 > それはつまり、 > あなたは時間と空間に依存していないということだ。 了解です。 > 時間と空間はあなたのなかにあり、 > あなたがそれらのなかにあるのではない。 夢のドラマはわたしのなかにあり、 わたしが夢のドラマのなかにいるのではない。 > 時間と空間に限定された身体との自己同一化が、 > あなたに有限の感覚を与えるのだ。 はい、間違いありません。 > 実際には、あなたは無限で永遠なのだ。 実際には、わたしが無限で永遠なのです。 (-||-) ──────────────────  もしあなたが興味を失えば  いかなる記憶も持続はしない。  束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。  あなたはつねに快楽を求め、  苦痛を避けている。  いつも幸福と平和を追い続けているのだ。  あなたの幸福への探求自体が、  あなたを惨めに感じさせているのが  わからないだろうか?  ほかの方法を試してみなさい。  苦痛と快楽に無関心でありなさい。  求めず、拒まず、  永遠に存在する「私は在る」のレベルに、  あなたのすべての注意を払いなさい。    『私は在る』(p258) ────────────────── > もしあなたが興味を失えば > いかなる記憶も持続はしない。 十年本を読みつづけても、 夢の画面が勝手に 夢を見ることに興味を失う場面に 連れて行ってはくれない。 あなたが興味を失うまでは……。 運命と恩寵は同じものです。 夢に興味を失うこと……。 (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。    『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。 (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(_ _)m       ………○…………○…………○……… 『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/       ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム: http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702 というのを作らせていただきました。(^^;) 「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。       ………○…………○…………○……… 『アセンション館通信』への 「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。 ▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518         …………○…………○…………○………… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 書きはじめてふと気がついて調べてみたら、 あれから十年目でした。 バカな話……とも思えます。 でも、 興味を持ってみている夢のストーリーに 文句を言っても仕方がない。 ──────────────────  質問者   人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、職業、結婚、死な  どにおける顕著な出来事が、彼のカルマによってすべて宿命づけら  れていることは理解できますが、しかし彼の人生の詳細すべてに至  るまで、取るに足らないことまで、すでに決定されているのでしょ  うか? 例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。それ  はこの日、この時間に、私がこのように扇を動かし、このようにこ  こに置くということまで、すでに決定されているということなので  しょうか?    マハルシ  もちろんだ。  何であれこの身体がすること、  そして何であれそれが通り抜ける体験は、  その身体が存在を現したときにすでに決定されているのである。    『あるがままに』(p388) ────────────────── このマハルシの言葉を信じています。 マハルシが嘘を言って、 われわれを騙す必要があるとは思えないので。 今日はすっかり夜になりました。 お休みなさい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ------------------------------------------------------------ このメールマガジンは二つの配信スタンド 「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html 「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2015 paritosho ------------------------------------------------------------
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