2025-02-09
Vol.1086
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆  ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2025/02/09(第1086号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪── -☆☆────-☆☆─────────────────────  ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇ アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に 相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。  あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、  それを得たり、培ったりする必要はありません。  あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に  注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi) 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。 ────────────────── ◇◇ もくじ ◇◇ 1.私たちが常に望んでいるもの(2) 2.編集後記 ────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1.私たちが常に望んでいるもの(2) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 思いが湧いてくるということは、 「あるがまま」の<今>に安らぐことができずに ついつい思考の中に「何か」を、 (つまり「助け」を)求めているわけでしょう。 この無意識の習性が終わるということ…… (もしそういうことが起こりうるのなら)、 それは本当に大変なことですね。 思考に助けを求めるということは 観念という形での “理解”のようなものを求めているわけでしょう しかし、求めている理解は 観念にはなりえないものです。 なぜならそれは 思考に何かを求めるという衝動が 崩壊することですから。 さて、またまた一週間が過ぎて、 楽しい“アセンション噺”と “「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。 『アセンション館通信』配達人のpariです。 この永遠の<今>を いかがお過ごしでしょうか? このところしばらく ルバート・スパイラの表現をたどり直しています。 今回は前回引用した 「私たちが常に望んでいるもの」という章の 後半部分を写経しようと思います。 この章全体は、ルパート・スパイラが ある女性からの手紙に答えた言葉です。 その女性は手紙の最後で次のように書いています。 ──────────────────  こうしてお手紙を書いているのは、  愛し、愛されたいという欲求の  落とし穴にずっとはまってきたからです。  私は長い間、自分が探しているのは  そのような愛だと信じてきました。  今でもまだ、  私の中の一部がそれを欲しています。  実際、私は今ここに座って、  愛を求めて泣いているのです。 ────────────────── と……。 この章の後半で、 ルパート・スパイラは次のように答えます。 ──────────────────        ∞      あなたが描写する愛は、  愛ではありません。  どんなに繊細であっても、  それは心(マインド)や体の状態です。  真の愛は、  生じることも、  やってきて去っていくこともありません。  それはこの世界の中には見つかりません。  それは、  あるとき見つかり、  あるとき失われるものではありません。  それは関係性や他者とは何の関わりもありません。  実際、  愛とは正確には、  すべての他者性や関係性が溶け去ることなのです。    『プレゼンス―第2巻』(p97) ────────────────── > あなたが描写する愛は、 > 愛ではありません。 > どんなに繊細であっても、 > それは心(マインド)や体の状態です。 愛とは心(マインド)や体の状態ではない! この女性は 自分が求めているものを「愛」と表現します。 さしずめpariの場合なら それは「安らぎ」とか「平和」、 あるいは「心配のないこと」 といった表現になるかもしれません。 要は、 思考が浮かんでこない状態でしょうか。 ところでルパート・スパイラは 愛とは心(マインド)や体の状態のような 「あらわれ」に関わるようなものではない と言います。 > 真の愛は、 > 生じることも、 > やってきて去っていくこともありません。 > それはこの世界の中には見つかりません。 > それは、 > あるとき見つかり、 > あるとき失われるものではありません。 > それは関係性や他者とは何の関わりもありません。 ここまで念を押されると これはもう誤解の余地はありません。 要するに、 ルパート・スパイラが言う 真の意味の「愛」とか「安らぎ」は 「あらわれ」の世界とは無関係だというのです。 > 実際、 > 愛とは正確には、 > すべての他者性や関係性が溶け去ることなのです。 これは納得です。 マハラジの定義と同じですね。 ──────────────────  区別と分離の感覚が不在なときを  愛と呼ぶがいい。    『私は在る』(p128) ────────────────── ルパート・スパイラは続けます。 ──────────────────  心(マインド)、体、  世界といった現象はすべて、  常に変化しています。  あなたの体験の中に、  何か変わらないものはありますか?  たったひとつだけ、  あなたの体験の中に変わらない「もの」があります。  それはあなたです。  それが、  あなたの探している愛です。    あなたは決してそれを見つけることができません。  なぜなら、あなたはすでに、  いつも、それであるからです。  といっても、時間の中の「いつも」ではなく、  永遠の今においてです。  ですから、  それを探し求めることはまさに、  その現存の否定です。  探すことで、  それは隠され、  失われたかのように見えるのです。    変化しないのは、  あなたの自己、  気づいている現存です。  あなたが、  あなたの欲しているものであり、  あなたの切望はまさにこの、  愛そのものの現存です。  しかし、  それが不在であるという信念によって、  つまり、  それは失われたり見つけられたりする  対象物であるという信念によって、  それはうっすらと覆い隠されてしまうのです。    言葉を換えると、  あなたが探し求めている愛は、  今ここに、  あなたの切望の中に存在しています。  しかし、  それを将来手に入る対象物として欲すれば、  かすかながらも、  あなたの中の、  あなたである現存が覆い隠されてしまいます。    「神よ、あなたは愛であり、   この愛を通じて、   私はあなたを求めます」    あなたの切望が向かっていく方向を、  すべて、  この理解の中に溶かしてしまいましょう。  そうすれば、  その中心にある愛が残るでしょう。    『プレゼンス―第2巻』(p98-99) ────────────────── > 心(マインド)、体、 > 世界といった現象はすべて、 > 常に変化しています。 「あらわれ」の中に 変化しないものはありません。 > あなたの体験の中に、 > 何か変わらないものはありますか? > たったひとつだけ、 > あなたの体験の中に変わらない「もの」があります。 > それはあなたです。 > それが、 > あなたの探している愛です。 われわれが体験するものの中に 何か変化しないものがあるでしょうか? たったひとつ、 それは体験している「私」です。 ルパート・スパイラは われわれが探している 「愛」とか「安らぎ」というのは 体験している「私」自身のことだというのです。 > あなたは決してそれを見つけることができません。 > なぜなら、あなたはすでに、 > いつも、それであるからです。 > といっても、時間の中の「いつも」ではなく、 > 永遠の今においてです。 > ですから、 > それを探し求めることはまさに、 > その現存の否定です。 > 探すことで、 > それは隠され、 > 失われたかのように見えるのです。 しかし、 その真の意味の「愛」や「安らぎ」を われわれはけっして見つけられない。 なぜならそれは 「愛」や「安らぎ」を探し求めている 当のわれわれ自身だから。 ということは逆から言うと、 「愛」や「安らぎ」を探し求めることは 「愛」や「安らぎ」が現に存在していることを 否定する意味合いをもつわけです。。 だからこそ、 「愛」や「安らぎ」を探せば 一見、 「愛」や「安らぎ」は隠されて、 失われたかのように見えるのでしょう。 > 変化しないのは、 > あなたの自己、 > 気づいている現存です。 > あなたが、 > あなたの欲しているものであり、 > あなたの切望はまさにこの、 > 愛そのものの現存です。 > しかし、 > それが不在であるという信念によって、 > つまり、 > それは失われたり見つけられたりする > 対象物であるという信念によって、 > それはうっすらと覆い隠されてしまうのです。 永遠に変化しないものとは、 永遠の<いま>において常在している われわれの自己、 「気づいている現存」です。 それこそが、 われわれが求めているもの、 つまり「愛」や「安らぎ」そのものです。 われわれがそれを切望していること自体が、 「愛」や「安らぎ」が現存することの ひとつの「あらわれ」とも言えるかもしれません。 しかし、 それが不在であると考える「思考」は それを「あらわれ」の中の対象物として 見つけようとします。 その「思考」にとっては その「愛」や「安らぎ」の現存は 覆い隠されてしまうわけです。 > 「神よ、あなたは愛であり、 >  この愛を通じて、 >  私はあなたを求めます」 > > あなたの切望が向かっていく方向を、 > すべて、 > この理解の中に溶かしてしまいましょう。 > そうすれば、 > その中心にある愛が残るでしょう。 「愛」や「安らぎ」を求める その切望の方向を 「あらわれ」の中の 何らかの対象物に向けるのではなく、 「愛」であり「安らぎ」である 常在する「神」への希求なのだという その理解の中に溶かしてしまいましょう、 とルパート・スパイラは言います。 そうすれば、 その中心にある愛が残るのだ、と。 ──────────────────  今ここに現存しないものはすべて、  「愛」の名に値しないし、  欲する価値もありません。  そのようなもののことは忘れてしまいましょう。  今ここに存在しないものは、  たとえある日見つかったとしても、  その性質上、  ある日消えてしまいます。    なぜ一時的なものを追い求めるのでしょう?  そのようなものは  決してあなたを満たしてはくれません。  手放せるものは皆、  手放しましょう  ──現れ出るものはすべて手放すことができます──  あなたや私、  すべての人の、  愛についての考えもその中に含まれます。    実際のところ、  現存しているものを探そうとするやいなや、  それは消えてしまいます。  私たちは真に現存しているものに  注意を集中することはできないし、  それについて考えることすらできません。  私たちは、  対象物、過去、未来について  考えることができるだけです。  つまり、  私たちは思考について  考えることができるだけなのです。    思考は、  思考自身がほとんど常に探し求めているものを  知ることも見つけることもできません。  思考はその中に溶け入ることしかできません。  炎に向かう蛾のように、  思考は愛に向かいながら死ぬのです。    『プレゼンス―第2巻』(p99) ────────────────── > 今ここに現存しないものはすべて、 > 「愛」の名に値しないし、 > 欲する価値もありません。 【今ここに現存しないものは  欲する価値もありません】   これが腑に落ちればいいだけのことですね。 > そのようなもののことは忘れてしまいましょう。 > 今ここに存在しないものは、 > たとえある日見つかったとしても、 > その性質上、 > ある日消えてしまいます。 ラマナ・マハルシもこういう意味合いの ことをよく言います。 新たに手に入るようなものは、 またいつか失なうことになるものなのだから、 欲しがる意味もない……と。 > なぜ一時的なものを追い求めるのでしょう? > そのようなものは > 決してあなたを満たしてはくれません。 > 手放せるものは皆、 > 手放しましょう > ──現れ出るものはすべて手放すことができます── > あなたや私、 > すべての人の、 > 愛についての考えもその中に含まれます。 要するに、 「あらわれ」の世界のあらゆる対象物、 分離の幻想が生み出す 身体、心、世界のあらゆる状況が 真にわれわれを満たすことはありえないわけです。 > 実際のところ、 > 現存しているものを探そうとするやいなや、 > それは消えてしまいます。 > 私たちは真に現存しているものに > 注意を集中することはできないし、 > それについて考えることすらできません。 > 私たちは、 > 対象物、過去、未来について > 考えることができるだけです。 > つまり、 > 私たちは思考について > 考えることができるだけなのです。 思考というのは、 思考について考えることができるだけなんですね。 > 思考は、 > 思考自身がほとんど常に探し求めているものを > 知ることも見つけることもできません。 > 思考はその中に溶け入ることしかできません。 > 炎に向かう蛾のように、 > 思考は愛に向かいながら死ぬのです。 ということは…… 思考の最高のパフォーマンスは、 死ぬことだと言えるでしょうか。(*^_^*) ──────────────────  皮肉なことに、  すべての親密な関係において求められているのは、  この分離した実体としての  自己の感覚が死ぬことです。  親密さにおける愛の切望は、  この死への切望です。  もしあなたが親密な関係において、  この愛を見かけ上の他者と分かち合うなら、  その他者はあなたの人生の中で  愛と光の灯台として輝き出すでしょう。  しかし、  それは必要なことではありません。  この光と愛は、  すべてのものの中で輝いているのですから。    あらゆる欲望の真の対象は、  この死だけです。    心(マインド)は、  愛のもとに行くことは決してできません。  この理解の中に心を溶かしてしまいましょう。  けれど、  海の中で水を探し求めている魚のように、  心(マインド)はすでに愛の中で泳いでいます。    すべてのものが過ぎゆくままにまかせましょう。  ウィリアム・ブレイクの言葉を思い出してください。  「喜びに自らを縛りつけるものは、   翼のついた命を壊してしまう」    「翼のついた命」とは、  愛そのものです。  私たちはそれを対象物として探し求め、  私たちの自己を対象物に「縛りつける」と  ──つまり、過去や未来に縛りつけると──  愛は見たところ破壊されてしまいます。    手放して、手放して、手放しましょう。  涙を川のように流し、  その流れに、  あなたが知るものをすべて捧げましょう。  あなたのあらゆる切望も、  何もかもすべてです。    誰かがマザー・ミーラ  [訳注:神の化身と考えられている女性]に、  神には何を捧げてもいいのか、  それともポジティブなものだけを捧げるべきなのか  と尋ねました。  ミーラはこう答えました。  「子どもはお母さんにカタツムリや木の棒、   石ころを捧げます。   それが何であってもお母さんは気にしません。   ただ子どもが自分のことを   気にかけてくれていることが嬉しいのです」    すべてを捧げましょう。  あなたが探し求めている愛は、  その後に残るすべてです。    『プレゼンス―第2巻』(p100-101) ────────────────── > 皮肉なことに、 > すべての親密な関係において求められているのは、 > この分離した実体としての > 自己の感覚が死ぬことです。 > 親密さにおける愛の切望は、 > この死への切望です。 地上世界でのアルコールや麻薬の隆盛は 誰もが結局は 【自己の感覚が死ぬこと】 を求めているということなのでしょう。 > あらゆる欲望の真の対象は、 > この死だけです。 やっぱり。(-_-) > 心(マインド)は、 > 愛のもとに行くことは決してできません。 エゴとは 身体(という形態としての自分)を 防衛するための機能なのですから 愛の海に溶けることなどできないわけです。 > この理解の中に心を溶かしてしまいましょう。 最後まで抵抗するその心(マインド)に 役割りの終わりを理解させる。 > けれど、 > 海の中で水を探し求めている魚のように、 > 心(マインド)はすでに愛の中で泳いでいます。 そうか……。 マインドは自分が愛の光で 照らし出されていることを理解すればいいのか。 > 手放して、手放して、手放しましょう。 > 涙を川のように流し、 > その流れに、 > あなたが知るものをすべて捧げましょう。 > あなたのあらゆる切望も、 > 何もかもすべてです。 わたしが知るものをすべて捧げます。(-||-) > 「子どもはお母さんにカタツムリや木の棒、 >  石ころを捧げます。 >  それが何であってもお母さんは気にしません。 >  ただ子どもが自分のことを >  気にかけてくれていることが嬉しいのです」 (*^_^*) > すべてを捧げましょう。 > あなたが探し求めている愛は、 > その後に残るすべてです。 (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、  それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。    『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。 (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(_ _)m    ………○…………○…………○……… 「ニサルガ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号は すべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/    ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム: http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702    ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518   ………○…………○…………○……… キンドル本の『地球世界はかなり特殊』 手にとっていただけました?(^^;) アマゾンに入って 【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。 読み物として面白ければと思っています。   ………○…………○…………○……… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 毎週、土曜日にだけ こんな気分になったりして。 まあ、仕方ないな。 pariがやっているわけじゃないのだから。 (^_-) 今日も遅くなりました。 おやすみなさい。 (-||-) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ────────────────── mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2025 paritosho ──────────────────
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