こんなことは「言葉」で言ってもしようがないんですが……、
という前提を言わせていただいてから、あらためて言ったりして(^^;)

「愛」というのは、私は存在の「基盤」のことだと思っています。

物理次元もそうでない次元もすべて含めて、全宇宙は「愛」という<濃密な
意識の海>の上に、あるいは中に、浮かんでいると思っています。

喩えて言うなら、「愛」という海に支えられながら、その表面の荒波(現象
の千変万化)に揉まれて、自分たちが作った『生存丸』という船の沈没を心
配しているのが「物理次元」、船から落っこちて、自分が望まない限りそれ
以上落ちる心配がない海の中が「非物理次元」とでもいった感じです。

で、そんなものに「愛」なんていう意味ありげな名前を付けると<それ>を
制限してしまうことになるので、かわりに「意識」、「存在」、「全体」な
んて言い方もあるようです。

要するに、森羅万象、存在しているものすべては「愛」の一部であり、その
表現だということです。

では、そんな捕らえどころのない得体の知れないものを何で「愛」と言った
りするのかと言うと、そこに住む森羅万象から言えば、<それ>が“自分”
の在り方を、許してくれ、受け入れてくれ、支えてくれるからです。

何でそんなことがお前に分かるのかと言えば、それは“私”が「意識存在」
であるということを、誰にも保証してもらう必要がないからです。

唯物論者のように、「物質過程だけが本質的過程で、<意識>というのはそ
の上に乗っかった“あぶく”のようなものだ」と思い込むことさえ、ここで
は許されています。

存在するのはじつは「物質」だけで、「意識」というものは存在しない、と
思い込むことも許されています。

要するに、何でもありです。
すべての“思い”が実現します。

この特等席に座るのに“思い”を持っている(つまり、<濃密な意識の海>
と繋がっている)ということ以外に、必要なものは何もありません。

つまりこの宇宙内の「意識存在」はすべて(ということは程度の差はあれ、
「全存在」はということですが)、この「愛」という<濃密な意識の海>の
特別優待客です。

この宇宙内(「愛」という<濃密な意識の海>の中)のあらゆる意識存在は、
どんなことを“思う”ことも許され、“思った”ことはすべて実現しますが、
この「物理次元」では“自・他”の意識存在が共通に関われる“現実”を創
るために、若干の“調整・制限”が課されます。

それが、「“現実”は“夢”のようなわけにはいかない」ということです。

この<濃密な意識の海>の中では、どんなことも“思う”ことができ、また
本質的には“思った”ことはすべて実現できるのですが、ただひとつ、上手
く想像できないことがあります。

それは、“存在しない”ということです。
なぜなら、“存在しない”ものが存在したとしても、それを「知る」すべが
ないからです。

それが、この「愛」という<濃密な意識の海>から落っこちることができな
い理由です。
言い換えると、「愛」を離れて存在することが不可能な理由です。

それが究極の<絶対安心>の根拠です。

その他の「正邪」「善悪」……のすべての相対二元は、<濃密な意識の海>
内部での、さまざまの意識宇宙の自作自演の“かくれんぼ”です。

すべての相対二元の根源にあるのが、“生死”という“かくれんぼ”です。


           …………○…………○…………○…………


……で、以上、述べたようなことはすべて、「物理次元」での「事実」では
ありません。
個々の意識存在は、それを自分の<真実>にするしか方法はないようです。

「物理次元」は、「愛(という実在)」と「恐怖(という幻想)」の葛藤の
ドラマを演じる舞台ですから、「恐怖(という幻想)」を選択し続けること
もできます。(@_@)

その場合は、“地獄”を創造し続けることになります。(>_ それも、許されているわけですから。(?_?)

しかし、「愛」という<濃密な意識の海>の一角をぶち破って、正真正銘の
「地獄」に突っ込む、というようなことは可能ではありません。(^^)

そういうことは、<起こりえない>のです。
たとえ、そういうことが起こりえたとしても、<知るすべがない>からです。
つまり、「意識存在」が唯一創造できないのが“存在しない”ということで
す。


           …………○…………○…………○…………


すると、結局、<濃密な意識の海>に浮かぶあらゆる意識存在は、いつかは、
この大宇宙の「基盤」である「愛」に、存在するすべてのものを支える「無
条件の愛」に、「意識」そのものに、つまりは「自分」に帰還するしかない
ということになります……。

でも、もちろん、「他者」にそんなことを言われたって、面白くも何ともな
いので、その「他者」が存在できないところまで行かなければならない……、
ということになるわけです。