何もかも正しいのだとしたら、いったい何を言う必要があるだろう。
あらゆる感情、あらゆる情緒、あらゆる思いが「すべて正しい」のだとしたら、いったい何を言う必要があるだろう。
そして実際、それ以外にありようはないではないか。
その感情への、その情緒への、その思いへの自己同化も「すべて正しい」。
あらゆる感情、あらゆる情緒、あらゆる思考への自己同化は「すべて正しい」。
あらゆる“喜び”も“悲しみ”も“苦悩”も、その自己同化ゆえにある。
そしてそれらは、「すべて正しい」。
“喜び”も“悲しみ”も“苦悩”も、それが存在することの“正しさ”ゆえに存在する。
その“こだわり”ゆえに存在する。
その“正しさ”がほしくないのなら、それを手放せばいい。
その“正しさ”を保証する者は、自分以外にはいないのだから。
あなたの思いも、わたしの思いも、「すべて正しい」。
あなたの“苦渋”も、わたしの“嫉妬”も、「すべて正しい」。
その“正しさ”は、宇宙の生き物であるわたしたちが努力によって達成したものではない。
他の生き物との比較によって達成したものではない。
森羅万象、「すべて正しい」。
それを手放したからといって、その“正しさ”がなくなるわけではない。
しかし、わたしは今、このつかの間の肉体に自己同化して、フォーカスして、わたしの今を紡いでいる。
間違いなくわたしは“正しい”のだが……、
でも、なんのために? (2002,9/1)