『21世紀への指導原理 OSHO』

本来の<ソフト>の破壊(結果三)


 そして“条件付け”による第三の(そして致命的な)波及効果は、子どもが生まれて来るときにこの世に持ってくる<ソフト>、つまり<タオ>が内蔵する<ソフト>が完璧に破壊されるということだ。

 人間の子どもは、まったく無力な存在としてこの世に生まれて来る。この世で生きるためのノウハウを身につけた大人から見れば、この無力な子どもは何も知らないまったく無力無能な存在でしかない。
 かくて大人たちは先を争って、子どもに生き延びるための知恵を引き渡そうとする。そのとき大人たちは、その<ソフト>の引継が、子どもたちが内蔵している本来の<ソフト>を破壊することによって達成されていることを知らない。
 子どもは確かに無知であり無力な存在だが完璧な<タオ>を内蔵しており、その潜在する<タオ>を実現すべく、<タオ>の不可分な内容として<タオ>本来の<ソフト>を内蔵している。
 この<ソフト>は考えられる限りの柔軟性を備えており、どのような環境にも対応できる。
 したがって、その<タオ>の<ソフト>が自然に展開できるような状況が逐次与えられれば、子どもは本来自立した人間になるための完璧な<ソフト>を内蔵していると言える。もしそのようなことが許されれば、子どもの内面にはどのような分裂も起こらず、その結果どのような疚しさを感じることもなく、大地から生まれてきたその存在は、母なる大地のエネルギー噴出させ、強大な生命の悦びを天に噴き上げることができるだろう。

 けれども、めったにそのようなことが許されたことはなかった。子どもはまず本来持ってきた<ソフト>が役に立たないものであることを学ぶことから、この世の生のレッスンを始めなければならない。
 例えば、生まれて初めて生命が滅ぼされる現場に遭遇した子どもは、必ず悲痛な泣き声をあげる。けっして無感動ではいない。このことは、私たち人間が生まれてくるとき、けっして白紙で生まれてくるのではなく、ある<タオ>の<ソフト>を持って生まれてくることの確かな証拠だ。
 ある所では、三歳の子どもが自分の家で飼っている豚が殺されるところを初めて見て悲痛な衝撃を受けるかもしれないし、別なところでは、二歳の子どもがテレビで人が殺されるのを見て泣き出していることだろう。
 けれどもこのことは、何度も起こることではない。
 子どもたちはじきに、生き物が殺されるのは何でもないことなのだと受け入れる。なにしろ、あんなにも賢い大人たちがあんなに平気にしているのだから。
 私たちの大人の世界は、子どもたちが彼方から持ってきたこの内蔵された<ソフト>をあまりにも幼い段階で破壊し、そのことに気づかない。自分たちが持ってきた<ソフト>も、そのようにして破壊されたからだ。
 結局、この世に生まれてきた子どもは、この世のやり方を受け入れるより仕方がない。子どもは、自分の命そのものを大人に依存しているのだから。

 かくて地上には、今も毎日もたらされている<タオ>の<ソフト>ではなく、遠い祖先の恐怖から綿々と引き継がれてきた、時代遅れのこの世の<ソフト>だけが支配し続けることになる。
 OSHOは、これこそが地上の不幸の根本原因だと言う。