『21世紀への指導原理 OSHO』
根拠に仕掛けられた分裂(結果五)
そして五番目に、以上の結果とも合わせた“条件付け”全体の総合的効果は、私たち一人ひとりの自己同化の源に分裂の根拠が仕掛けられたということだろう。
私たちは、自分が生まれた家族、その家族が所属する国家、民族、宗教によって区別される。区別されるだけではなく、自らそれに自己同化することを求められる。そして、それらに自己同化することによって、私たちはその根拠において分裂させられた。
私たちは、ただのまっさらな<意識>でありえないどころか、独立したひとりの「個」ですらありえない。私たちは、地上の分裂した枠組みに依存させられ、そこに所属するラベル付きの人間として固定された。
私たちは自らの根拠を求めれば求めるほど、その分裂の根拠である国家に、民族に、人種に、宗教に、階級に、イデオロギーにと取り込まれる。
私たちは自分の根拠を、<生命>にではなく「エゴ」に求めさせられた。
この地上のあらゆる人間たちの同種、同方向のエネルギーは、対立する正反対の方向のエネルギーででもあるかのように、ひたすら葛藤に、紛争にと導かれ、分裂を深める方向に働くことを余儀なくされた。まるで、私たち人間にはどうしてもその分裂が必要であるかのように。
そして地上の世界は、その分裂が自らの利益であると確信してしまった既得権益者たちによって支配された。
支配と被支配の構造は固定化し、それに応じて地上世界の分裂の枠組みは私たち個々人の中に内部化されていった。
<意識>の海の中ではあらゆることが可能だった。
そこでは、自分が顔を向けている方向が自分の未来だった。
分裂と支配を固定化しようとひたすら願えば、そのような波動にますます自分を固定することもできた。その波動を強め、その波動の実体を生み出すこともできた。
それもまた、絶対の自由の中に含まれていたからだ。
私たちは、自分を苦しめる自由も持っていた。自虐の“夢”も“夢”にすぎないことは確かだったが、そのような“夢”を見られる権能は本物だった。どんなに愚かなことに使おうとも、そこで使われている力は本物だった。ありえないような恐怖映画を制作しようとも、そこで使われている力は本物だった。その力がただ自分を苦しめるためにしか使われていないとしても……。
私たちが自分の内面を見ていくとき、その力の源泉のかなり奥深いところに、アイデンティティという関所が仕込まれている。
私たちは黄色人種であったり、白人であったり、黒人であったり、東洋の文明を背にしていたり、西洋の文明を背景に持っていたり、あるいは日本人であったり、アメリカ人であったり、ロシア人であったりというように。
それは確かに事実であり、否定する必要はない。けれども、そこに自分の根拠を置くことはない。そんな中途半端なものを自分のアイデンティティにする必要はないのだ。
このアイデンティティとは、「実在」の世界にも存在するものなのだろうか。
私たちは、一度じっくりと考えてみなければならない。もしかしたら、これまた偶然ではなく、自分が誰かを本当に深く納得するまでは、私たちは何時までも何時までも虚構のアイデンティティを確立する必要に迫られる運命なのかもしれないから。