『21世紀への指導原理 OSHO』

忘れられた通路


 それにしても、どうしてこんなことになったのだろう。
 実はここには秘められたある謎がある。
 私たち人間の意識がいわゆる物質過程に焦点を合わせれば合わせるほど、その裏面でそれとバランスを取るかのように、密かに忘却され、私たちの日常の意識の焦点から消失して行ったある秘密の通路の存在があった。

 その通路は忘却され、忘却されることによって、その扉は閉じられ封印された。

 かくて地上の文明からは、その通路は存在を否定される必要もないほどに痕跡を消してしまい、私たち一人ひとりの人間は、わずかに母親の子宮の中にあった時の記憶として、そのことを遠い憧れのように、この世に対するある種の違和感として思い出すことがあるだけだった。それ以外は、私たちはまるで悪夢の罠にはまった鼠のように、肉体の維持に向けてのこの世の「比較」と「競争」を、泳ぎ抜けなければならなかったのだ。

 一瞬、醒めやらぬ夢の名残のような何かの雰囲気を思い出すこともあるようだったが、それはあまりにも遠いかすかな記憶の彼方に薄れていて、それが夢の記憶なのか、幼年の日の思い出なのかも定かではなかった。
 何れにせよ、私たちは日常に醒めなければならない。何時までも、夢の記憶を追ってばかりはいられなかった。

 私たちは、その遠い思い出のようなものが、幼年の日、一瞬思考が止まったその瞬間の記憶であったことさえ、はっきりとは意識できない。

 私たちは、生きているとは何のことなのかを、もう一度思い出さなければならない。

 それは、もしかしたらこの肉体が動いているということとは少し違うのかもしれない。永遠の命、永遠の意識、そんな言葉を確かに聞いたような気がするが、それはいったい何のことなのか。
 いったい「意識」とは何を言うのか。
 生きているとはどういうことなのか。
 それは、もしかしたら、この動く肉体を維持するために心配をするということとは違うのではないのか。
 何が「意識」であるのかを、私たちはもう一度思い出さなければならない。