『21世紀への指導原理 OSHO』

「問題」の“担当者”


けれども、第三世界の人々が飢餓で死んでいくとき、私たちはそれが自分の問題であることに気づきたくない。

 私たちはその“別の”世界の人たちを救うべきかどうかを考える。
 そしてそれが自分の利益になるかどうかを考える。
 私たちは自分の「欲望」の指示に従って動くより他ないからだ。この「欲望」こそが“夢”なのだという“過激”な真理を、私たちはまだ理解したくないからだ。
 赤むけになった下半身の皮膚を何とかして再生しようとするとき、私たちはそれしか道がないことを知っている。死ぬのが自分であることを知っている。
 けれども世界各地で大量の表土が失われ、その地域の人たちの肉体的生存を賄【まかな】えないほどの消耗した地力に立ち到っても、私たちにはそれが自分自身の問題であるとは考えられない。
 では、それを自分の問題と考えられないのは、実際それが自分の問題ではないからか、その問題が私たちを襲うことはありえないからだろうか。そうではないだろう。

 自分の問題でなかったにも関わらず、何時かそれは自分に降りかかってくる。
 それが外の世界で、大気を伝わる干ばつとして、あるいは酸性雨として襲って来るというだけではない。真空の中の波動を通して、飢えに苦しむ人たちの恐怖を見殺しにしたそのことが、何らかの形で私たちに戻ってくるだろう。
 それは過剰な防御反応、過剰な退廃、過剰な耽溺【たんでき】として私たちの内部崩壊をもたらすかもしれない。
 素朴な正義感(バランス感覚)を押し殺すようなその生き方が、私たちの深い無意識の中に“生きることのやましさ”を育み、肉体の抵抗力を自ら辞退するような、いわゆる「免疫不全症候群」とでもいった形で私たちを直撃しないものでもない。
 私たちの全身に浸透している「真空」の波動は、それが自分の問題であることを知っているからだ。

 だから実際には、今地上に集中的に起こっている問題を解決すべき“担当者”がいないわけではない。
「問題」の“担当者”とは、その「問題」の成りゆきに関係のある者のことだ。
 その「問題」の成りゆきの結果を、“担当”することになる者のことだ。
 それは、現在の地上で<意識>として存在している私たち自身でしかないだろう。
 それ以外に「担当者」など存在するはずもない。
 この私たちの星がいよいよとなったとき、それに最も責任があるはずの「国家」は存在しない。「政府」は存在しない。「会社」は存在しない。「国家」が困りはしない。「政府」が窮地に陥りはしない。「会社」がパニックになりはしないのだ。
「宗教」「民族」「国家」「企業」「家族」といった、現在の地上を分裂させているあらゆるアイデンティティは、私たちの頭の中にしか存在しないからだ。

 無論、私たちがそれに深く絡め取られていることは確かだ。
 それは否定できないが、そういう仮構の枠組みは、私たち「個」の成長のための状況、“お話”に過ぎないことを理解しなくてはならない。「実在」ではない。
 私たちこそが“担当者”であり、私たちこそがドラマなのだ。
 パニックに陥るのは、<意識>の担い手私たち自身以外には存在しない。最後には誰が“担当”するのかを覚えていなくてはならない。
 いざとなったとき、アメリカも、日本も、シーア派も、イスラエルも、そんなものが困ったりはしない。“死”に直面するのは、そういうものに自己同化した私たち「個」に他ならない。
 だから、“担当者”は存在するのだ。
 存在していないのは、“担当”するための<ソフト>だけだ。
 それならむしろ、現在の地球の窮境は、私たちがその“担当者”であることを自認するためのひとつの戴冠式だとはいえないか。
 この地球規模の自殺としか思えない私たち人類の気違いじみた振る舞いは、私たちの中に内蔵されている次の段階の推進装置に点火するための、異常な加速だとでも理解した方がいいのではないか。

 私たちの地球は、表面に棲息する私たち地球人類ともども、現在ひとつの大きなサイクルの締めくくりの時期にさしかかっているのだろう。そこまでのサイクルの成果、歩留まり、「個」である<意識>の担い手たちに起こった理解を整理し、再統合する時期があるのかもしれない。そのようにして、次のひと“めぐり”で一人ひとりの「個」が住む次元の選択を可能にしているのかもしれない。
 だがいつでも確かなことは、<意識>はどんなふうに装ってみても実は「全体」でしかありえないために、自分があたかも「全体」ではないかのような位置設定をすれば、その<意識>の担い手はこの上もなく複雑怪奇なジグソーの中に住まなければならなくなるということだろう。
 私たちは、自分が支えているものによって生きている。
 けれども、それは私たちの生がすべて幻想だということではない。“夢”から醒めることはできるが、<意識>の担い手でなくなることはできないということだ。
 この「真空」に満たされた大宇宙の“外”に出て行くことはできないのだから……。