『21世紀への指導原理 OSHO』
“食糧危機”が教えること
現在地球上では、毎日四万人の子どもが飢えによって死んでいくという。
二秒間にひとりの子どもが餓死していくと聞く限り、現在地球には重大な食糧危機が存在するともいえる。けれども、今地球上の人類が食糧生産上の技術的、量的限界に突き当たっているというわけではない。
食糧問題と言われているものは現時点における地上の<ソフト>の赤裸々な表現にすぎない。
それは、現段階の地球人類の無意識が“意図的”に生み出している人災だ。
第三世界のアフリカを例にとれば、アフリカ全人口の四分の三の人々が自由に出来る耕地は、全体の四パーセント足らずに過ぎないという。
飢えているのは、無論、その四パーセントの土地で命を繋がなければならない四分の三の人々だ。
これだけでも、食糧危機など実は存在しないことが分かる。
もし現在の地上の権力者たちが、その飢えた人たちの家族の立場で発想し、判断力を示すことができたら、食糧危機など瞬く間に雲散霧消してしまうことは確かだ。けれども、私たち自身が、まさにその反対を自分の利益として配慮している以上、そのようなことが起こるはずもない。
つまり現在の地上に存在する食糧問題とは、技術的限界の問題でも、避けられない問題でもなく、まさに私たちの無意識が“意図的”に生み出している人災としかいいようはない。
けれども、現在の食糧問題は、私たちに別の「問題」も告知しているかもしれない。
というのは、今、地上の権力者たちが求める振りをしている“食糧問題”の解決など存在しえないことが明かだからだ。
“先進”諸国の食生活のパターンを維持しながら全世界の人々に食糧を賄おうとするのがいわゆる“食糧問題”の解決だとすれば、そのような解決はありえない。
現在地上で、ひとり当たり年間三三〇キログラム(一九九一年)の穀物が生産されているという。これは、ひとり一日一キログラム弱の生産量だ。
人類は食べきれないほどの穀物を生産しているわけだ。
けれども、これがすべて人間の食糧になるのではなく、約四割は家畜の飼料にまわされる。肉になるわけだ。これらの食肉を実際の自分の口に入れているのが、富める国々の人々であることはいうまでもない。
今地上に、世界人口の三倍にあたる食肉用家畜が飼育されているという。
ということは、現在“豊かな”国の人々が享受している食生活を、人類全般に広げることなど初めから不可能だということだ。そんな事態が出現するにためは、地球は総人口の何倍の食肉用家畜を飼育しなければならないというのか。
それが地球の許容範囲をはるかに超えることだけは確かだろう。
では現実的に、“食糧問題”の解決というものを、現在先進国世界が当然としている食生活パターンを維持しながら、なおかつ現在爆発しつつある地球上の総人口に対して何らかの食糧を提供することであるとしてみよう。その解決は可能だろうか。
それを実験してみているのが現在の“食糧問題”なのかもしれない。
残されている森林資源は家畜の飼育のためにますます減少し、富める国々の消費者と購買力を競争しなければない第三世界の人々は、従来の食生活すら維持できなくなっているというわけだ。そして、食肉生産による利益は、ひたすら食糧を“戦略商品”と位置づける地上の権力者たちに集中する。
“食糧危機”といわれるものの実体は、実は単純なことだった。
それは先進世界の食糧産業が、自由競争という“豊かさ”への大義名分をかざして途上国に乗り込み、その農業を世界システムに組み込むことによって、途上国の人たちの生存のための食糧を合法的に奪っていったということだ。
私たちは、飽食と飢餓の同時存在を、現代の食糧問題の最大の矛盾と考える。けれども、まさか自分たちの飽食が、直接、第三世界の飢餓を引き起こしているとは思わない。
けれども、事実は単純だった。
飽食が、まさに飢餓を引き起こしていたのだ。