『21世紀への指導原理 OSHO』

生まれること


二一世紀の新しい地球では、生まれてくる子どもたちが物理次元での生存能力においてこそ非力であっても、その感受性において、その本質的理解力において地上の大人たちにけっして劣らないあらゆる能力を備えていることを、私たちは知っているに違いない。
 すでに生まれた時代の条件づけを不可避的に受けている地上の大人たちと比べ、新しい可能性そのものを携えてやって来ている子どもたちを、大人たちは可愛さだけでなく本当の意味での尊敬を込めて迎えることだろう。
 新しい世界では、子どもを迎える用意のない両親の間の、偶発的な妊娠による出産は回避される。
 OSHOはいう。
「自分で確信がないのだったら、けっして子どもを産んではならない。その方が不自然なことだ。けっして歓迎されない子どもを産んではならない。ただ自然であるだけでは不十分だ。人はきわめて意識的に母親になる用意をすべきだ--そうして初めて母親になるべきだ」と。

 OSHOがいうことはこうだ。
 その子が本当に歓迎されるようになって、踊り上がって、歓びを持って、贈り物としてその子を受け入れられるようになって初めて母親になるいべきだ。そうでないなら、ならない方がいい。次の機会を、時期が来て自分に母親になる用意ができているときを待つべきだ。
 そしていったん子どもを待ち望んで妊娠したら、母親は可能な限りの注意を持って、その喜びを妨げるようなマインドが自分の中に入り込むのを許すべきではない。
 それこそが、その子が一生担うことになる印象だからだ。
 子どもはただ母親の肉体の一部であるだけではない。子どもは母親のマインドの部分でもある。子どもは母親の肉体から栄養をもらい、母親の思考から栄養をもらう。
 子どもは母親の感情から栄養をもらい、母親の内なる波動から栄養をもらう。
 だから女性が妊娠しているときは、その女性には大いなる責任がある。そのときの母親のヴァイブレーションがその子の全人生の現実【リアリティ】になるのだから、と。

 OSHOは、地上での生活の疲れをすっかり癒されて戻ってきたその子どもたちは、誕生後六カ月ほどは常にまだ向こう側との連絡がとれる状態にある、と教える。
 地上の大人たちが、誰でも当たり前に物理次元を超えた<意識>本来の世界との連絡を取れる時代は何時か来るだろうが、それまでは、私たちはその子どもたちからたくさんのヒントをもらうことができるかもしれない。
 肉体の誕生がごく自然なことであり、けっして異常事態でないことを知っている大人たちは、妊婦とそのパートナーを中心に、迎える何人かの大人たちが薄暗くした部屋の中で新来者に対する歓迎の意を込めて静かにハミングしあるいは瞑想しながら、新しい魂の物理次元での誕生を待ち受けることだろう。

 生まれたばかりの赤ん坊はへその緒をつけたまま母親の胸の上で安らぎ、その鼓動を聴きながらゆっくりと目と目を見合って母親との対面を迎える。子どもはすべてを理解しており、母親もまわりの者たちも、彼あるいは彼女がすべてを理解していることを知っている。
 新しい世界は、子どもを産むというありふれたことが、けっして無知で対処されてはならないことを理解しているだろう。
 それが人間がきわめて意識的な理解と配慮をもって向かうべきことであるのを知っているために、偶然のセックスの結果として子どもを産む者はないだろう。新たな魂を地上に迎えたいと望む者は、そのための教育を受けその意志を確認し固めてから子どもを妊娠するに違いない。

 出産では、誕生する魂が無用な傷を受けないための最大の配慮が払われるだろう。
 そのような内面の科学には、催眠術と瞑想が、意識的、組織的に利用される。
 新しい魂を迎えることは両親にとっての成長のためのひとつの機会であることは誰もが知っており、そのチャンスを意図的に選択することが前提であるために、新しい世界では、無意識の出産による人口過剰は起こらない。
 そこでは自然という言葉は、人間のその段階での意識的配慮を伴うことを前提した自然であり、一時の衝動による自然は、人間的自然とは呼ばれなくなっているだろう。