『21世紀への指導原理 OSHO』

働くこと


新しい世界では、大地からの恵みによって実質的な必要はすべて満たされていることを、誰もが知っているに違いない。
 私たちの物理次元の肉体を育み支えてくれる農業は、何の苦労もない喜びに溢れた楽しいものであり、私たちを取り巻く素晴らしい居住環境そのものになっている。
 母として敬われる大地は易々と私たちの食糧を生み出し、私たちもまた、自分が大地から戴くものが本当は母なる大地の「喜び」であることを知っている。
 そのような農業は、ただ悪循環であるに過ぎない肥料、農薬の使用を、過去のものとして卒業しているに違いない。そして農業は、もはや経済活動という意味での“業”とは違うものになっていることだろう。
 自分たち人間も、微生物を含む母なる大地に居住するたくさんの生き物たちの仲間であり、全体が相互に依存し、互いを生かし合いながら母なる大地の懐で育まれていることを知っているだけだ。

 新しい世界はその他さまざまの洗練された人間活動を生み出しているだろう。
 けれども、私たちはそれらの活動が自分の好奇心と探求心の発露であり、すべてが創造の喜びから発するものであり、楽しみではあってもけっして生存のために必要とされるものではないことを知っているに違いない。
 日常の生活品はきわめて洗練された簡素なものに自然に落ち着くことだろう。
 私たちは自分の可能性を展開する様々の創造的活動、科学的研究や芸術活動を行うことだろうが、何よりも大きな違いはその空間を満たす瞑想的な雰囲気だろう。
 私たちはそれぞれの個人や集団の研究、作品、演奏を、それぞれの固有のニュアンスを味わうために鑑賞し合うだろう。
 また、重力制御を含めた新たな科学上の知見で可能となった高度な手段を使って、私たちは休暇を他の惑星や他の太陽系への旅行で楽しむかもしれない。

 新しい世界では、誰もが自らの生活上の必要を賄うための小規模エネルギー源を持っていることだろう。
 時として大きなプロジェクトが組まれることはあっても、私たちは基本的に地球が与えるそれぞれの自然環境の中にすっぽりとおさまった小さな規模の生活を、この上もなく快適なものにしていることだろう。近隣の住人同志が相手を見知らないような大都会は、完全に過去のものとなっているだろう。
 基本的必要はすべてコミューンよって賄われていても、私たちは必要ならそして「全体」が許すなら、何時でも食糧とエネルギーの自給が可能なことを知っているだろう。
 そしてそのことがあまりにも当然のことであるために、私たちは物理次元での物質的富の“所有”にはまったく関心を示さなくなっているだろう。