『21世紀への指導原理 OSHO』

愛すること


男女両性という二つの極の統合を目指して成長して行くのが物理次元での大きな約束だとすれば、愛こそは常に私たちの成長のための最も心踊る状況であるだろう。
 OSHOは、愛と覚醒の統合こそ宇宙における最大の難事、最大の冒険だという。

 私たちは無論、最初は愛着、執着という意味での愛から始めざるをえない。
 私たちはホルモンに突き動かされ、異性を求める心踊る冒険に駆り立てられる。
 けれども、その相手の異性もまた、固有の意図と固有の目論見【もくろみ】をもって相手に対している。そこでの葛藤という非常に親密な体験を通じて、私たちは愛すること、受け容れること、そして執着を卒業することを学んで行くに違いない。
 相手の異性への依存を超えて、真に愛することができる状態に向かって、愛のアートを磨いていくのだろう。ただ与えることの喜びに、愛を受け容れてもらえたことの感謝に溢れる人間にと、愛のアートを高めてゆくことだろう。

 OSHOなる原理は、誕生も、愛も、死も、人生において肝心なことはすべて私たちが為すことではなく、起こることだという。
 だから自分ができるような類のことで、心配すべきことなど何もないのだと。
 すべては存在からの贈り物なのだ、とOSHOは教える。
 起こることを受け容れるアートを磨くことこそが、生のアートを磨くこと、また生きることそのものなのだ、と。
 その意味で、愛こそは最大の修練の場だ。そしてまたこれほど面白いものもない。
「愛はそよ風のようなものだ」とOSHOはいう。

「それはただやって来るだけだ。それがそこにあるなら、それはそこにある。
 それから、それは行ってしまう。そしてそれが行ってしまったら、それは行ってしまったのだ。
 愛とは神秘だ。それを操作することはできない。愛は操作されるべきものではない。愛は合法化すべきものではない。
 愛は押し付けるべきものではない--どんな理由があってもだ」

「コミューンでは、人々が一緒に住むのはただただ一緒にいるのが嬉しいからだ--他に理由はない。
 だからその歓びが消えたら、その人たちは別れる。それは悲しく感じられるかもしれない。だが別れなければならない。まだ心【マインド】の中には、過去に対するノスタルジアが残っているかもしれないが、別れなければならない。
 二人は互いに、自分が惨めさの中で生きるべきではないという責任を負っている。
 そうしないと不幸が習慣になってしまう。
 二人は重い心【ハート】で別れるが、しかし恨みは持っていない。
 その人たちは別のパートナーを探すことになる」
 OSHOの語る愛のイメージは、他の星の実験とは少し異なるところがあるかもしれない。あるいは、それは過渡的な姿なのかも知れない。何時か何処かで、私たちは愛のパートナーを変えてみられるような段階を卒業してしまうのかもしれない。