2026-09-06
Vol.1166
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆  ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2026/9/6(第1166号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆──────☆☆──────────────────── ☆☆     ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──  ☆☆   ☆☆      https://www.ascensionkan.com/mm/ ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇このメルマガの趣旨◇◇ アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に 相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。  あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、  それを得たり、培ったりする必要はありません。  あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に  注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi) 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。 ────────────────── ◇◇もくじ◇◇ 1.意識:スクリーン(「静寂」51) 2.編集後記 ────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1.意識:スクリーン(「静寂」51) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ さて、またまた一週間が過ぎて、 “アセンション噺”と “「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。 『アセンション館通信』配達人のpariです。 この永遠の<今>を いかがお過ごしでしょうか? ロバート・アダムスの『ハートの静寂』に 唯一実在していると語られているのが 「4章 意識」です。 今日は前回に続いてこの章から その「意識」が何であるかを 端的に語っている一部をご紹介します。 (相変わらず  常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、  これが本書の出版に関われた方々の  ご迷惑になる無断引用ではなく、  本書の販促に貢献する  無料宣伝となることを願っています。(-||-) ) ──────────────────    *意識──現実のスクリーン    では、意識とは何でしょうか?  私たちは、  意識とはそれ自身を知るパワーだと  言うことができます。  それは自己充足している絶対的現実です。  言い換えれば、  意識以外の何も存在していません。  意識とあなた、  あるいは、  意識と世界があるのではありません。  ただ意識だけがあります。  意識とは現実のスクリーンであり、  全宇宙のすべてのイメージが  現実のスクリーンに重ね合わされている、  と言うこともできるでしょう。    『ハートの静寂』(p050)  https://tinyurl.com/4b5dsnb4 ────────────────── たぶん、 ここで語られていることこそが われわれが本当に理解すべき、 あるいは、 本当に腹の底から納得すべき 肝心要の核心なのではないでしょうか。 なぜなら、これだけが われわれがいまこの瞬間に 他の誰の助けも必要とせずに、 自分一人だけで確信できることだからです。 これだけは、 誰かからの又聞きの噂話ではないからです。 【自分は、今、ここに、いる】と。 そして、 実際に存在しているのは 本当は「これ」だけ、 この感覚以前の、 絶対的直感だけなのです。 これが、古来、 「純粋な気づき」として 語られてきたものです。 > では、意識とは何でしょうか? > 私たちは、 > 意識とはそれ自身を知るパワーだと > 言うことができます。 意識とは、 自分で【自分は存在している】、 と知っているそのパワーのことだと。 もしそれ以外に、 あるいは、それ以上に、 自分が“何である”かを 知っているような気がしたとすれば、 それはすべて間違った想像にすぎないのです。 > それは自己充足している絶対的現実です。 この自前で 【自分は存在している】と 知っているパワーというものは 唯一実在する至高のパワーです。 ロバート・アダムスはそれを 【自己充足している絶対的現実】と呼びます。 英語は、 Self-sufficient absolute reality なのでしょう。 そう翻訳したければ、 【自己充足している絶対的実在】 と言ってもいいのだと思います。 そして、 > 言い換えれば、 > 意識以外の何も存在していません。 というわけです。 > 意識とあなた、 > あるいは、 > 意識と世界があるのではありません。 意識と自分があるのだとか、 意識と世界があるのではない。 > ただ意識だけがあります。 というわけです。 意識しか存在しないわけです。 > 意識とは現実のスクリーンであり、 > 全宇宙のすべてのイメージが > 現実のスクリーンに重ね合わされている、 > と言うこともできるでしょう。 意識というのは 現実として現れるすべての 「見かけ」を映し出すスクリーンです。 「見かけ」として現れる 全宇宙のすべてのイメージは この唯一実在するスクリーンの上に 重ね合わされているものにすぎないわけです。   ──────────────────  あなたが映画館へ行き、  映画を見始めるとき、  そのスクリーンはイメージに覆われています。  あなたはスクリーンを忘れ、  そのことをもはや考えません。  あなたはイメージを眺め、  イメージと一体化し、  映画を楽しみます。  スクリーンはあなたから遠く離れています。  しかし、そのイメージを掴もうとしたら、  あなたは何を掴むでしょうか?  イメージではなく、  スクリーンを掴みます。  イメージはけっして存在したことがないので、  あなたはスクリーンを掴むことになります。  そして、  私たちに関しても同じことです。  私たちは、自分が  人生のスクリーンに重ね合わされたものだ  ということを忘れています。  そして、  私たちは本当はスクリーンであり、  それが意識です。  私たちは多くの転生を通じて、  自分はそのイメージであり、  一人の人であり、  また他人がいて、  この世の中に戦って得るべき  永遠の物事があると信じます。  しかし、  こういう物事は偽物だ、  と私はあなたに言います。  イメージは蜃気楼の中の水のようなもの、  ロープがヘビに見えるようなもの、  空が青いようなものです。  しかし、  空もなければ、青い色もありません。  ヘビが本当はロープであることを発見するとき、  それは二度と  あなたを恐がらせることはないでしょう。  あなたが蜃気楼の中の水を追い求めれば、  失望し、砂を掴むことになります。  言い換えるなら、  それらは視覚的幻想なのです。  皆さん、宇宙とは視覚的幻想です。    『ハートの静寂』(p50-51) ────────────────── われわれは映画館に行って 映画を見ると、 それがつかの間のスクリーン上の 映像にすぎないことをすぐに忘れてしまう。 このごろでは映画館に行かずとも 家のテレビの画面を見ていてすら、 それがただのつかの間の画面上の 映像にすぎないことをすぐに忘れてしまう。 それをあたかもリアルな 現実でもあるかのように思い込んでしまう。 娯楽は高くつきますね。 行きは良い良い、帰りは怖い。 最初は自分が楽しんでいるつもりでいたのに、 いつの間にか、 実際は人生を苦しむまでに 迷い込んでしまっている。 > 私たちは本当はスクリーンであり、 > それが意識です。 われわれは 現れという「見かけ」を映し出す スクリーンのほうなのです。 その「見かけ」のなかで 踊っている登場人物の方じゃない。 われわれは自分が 一人の人人であり、 また他人がいて、 この世の中に戦って得るべき 永遠の物事があると信じています。 でも、実際は、 それは蜃気楼の中の水のようなもの、 空が青いようなものです。 青さなどどこにもないし、 青空など存在しないわけです。 ロバート・アダムスは それらは【視覚的幻想】だと言います。 > 皆さん、宇宙とは視覚的幻想です。 と。 ──────────────────  皆さんが真理に目覚める日が  いつか人生に起こることを、  私は確信しています。  私たちが生きているこの世界も同じことです。  まったく何の違いもありません。  あなたは死すべき夢を生きています。  そのため偉大な賢者たちは、  起こっていることではなく、  意識、絶対的現実と一体化しなければならない、  と私たちに教えてきました。  私たちがもつ唯一の自由は、  どんなことにも反応せず、  内側に向き、真理を知ることです。    『ハートの静寂』(p51) ────────────────── われわれのこの日常生活は 視覚的幻想を 現実と勘違いしているものにすぎない。 われわれにある唯一の自由は どんなことにも反応せず、 内側に向き、真理を知ること、 それ以外にはないのです。 われわれは 鏡に映っている鏡像の方ではなくて、 その鏡像を映している「鏡」のほうです。 鏡に映る鏡像の場合は、 映りこんでいる鏡像に対応する実体が 鏡の外に存在している。 しかし、 われわれという唯一実在している 純粋な気づきの場合は、 実在しているのはわれわれだけ。 「純粋な気づき」以外は何も存在していない。 だから、 その「純粋な気づき」という鏡に 鏡像として映り込んでいる 鏡の外の実体というのは存在しない。 つまり、 鏡像しか存在していない。(@_@) ⌒★? じゃ、 いったい何が鏡像として映り込んでいるのか? それが“間違った想像”なのです。 (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、  それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。  『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。<(__)> (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(__)m   ………○…………○…………○……… 「ニサルガ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号は すべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/   ………○…………○…………○……… キンドル本の 『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識 https://tinyurl.com/yzemhvs3 手にとっていただけました?(^^;) 読み物として面白ければと思っています。   ………○…………○…………○……… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「私は在る」 しかし、 何かとして在るわけではない。 「私は『私は在る』である」。 「在るがまま」に感謝します。(-||-) お休みなさい。 (-||-) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ────────────────── mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2026 paritosho ──────────────────
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