━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/3/1(第1141号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.四つの原則(「静寂」31)
2.編集後記
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■1.四つの原則(「静寂」31)
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今日もとても温かい日でした。
今年の冬は本当になんという天候だったことか。
もう三月に入るんですね。
この世のことに対応しているときは
本当の幸福というものはないという感覚が
だんだん自明になってゆくようです。
さて、またまた一週間が過ぎて、
“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ロバート・アダムスは
『ハートの静寂』の後半に収められている
「16章 四つの原則」という章を
次のような言葉で始めています。
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16章 四つの原則
自分のハートの中に次のことを感じてください。
あらゆるもの、
すべてのものは、
マインドから出たものである。
「私」は生まれなかった、
「私」は生きていない、
「私」は死なない。
あらゆるものにはエゴがない。
どんなものもエゴや原因をもたない。
何も存在していない。
それではないすべてを否定することによって、
真我覚醒とは何かについて深く感じてください。
これでもなく、あれでもなく……
『ハートの静寂』(p348)
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この引用部分には
それぞれ三行で展開された
四つの言葉の塊があります。
これらの言葉のグループはそれぞれ
この章で詳細に解説される「四つの原則」を
ごく簡単な言葉で指し示したものです。
で、その「四つの原則」とは
いったい何に関する原則なのかと言えば、
人が真我覚醒に近いかどうかを判断できる
その人の心境に現れる兆候というか、
当人の中に熟してきている理解ないし確信
というような意味合いの原則です。
むろん、
ロバート・アダムスが語る言葉ですから。
真我覚醒に“近い”状態などありえないわけで、
人はだれもが真我覚醒しています。
真我しか存在していないわけですから。
しかし
想像という夢の中で人間になって迷っている“者”、
しかも夢から目覚めたいと願っている“者”からすれば、
“真我覚醒に近い”かどうかは、
やはりとても気になるところです。
そこで、賢者の老婆親切というわけです。
賢者は、
真我以外のものなど何ひとつ存在しないことを
知っています。
だから、
“真我覚醒に近い”などという状態も
もちろん存在していません。
ただ実在する「何もなさ」のなかに
夢のように浮かぶ間違った想像として
つかの間、現れては消えてゆくだけです。
と同時に、
賢者自身の記憶の中にも
そのような“真我覚醒に近い”状態を経験した
記憶はあるわけです。
だからこそ、
こうして“真我覚醒に近い”状態に関する
「四つの原則」を語れるのですから。
しかし……、
変なものなんでしょうねぇ。(^_-)
賢者自身は、
実際は“誰”も存在していないことを
よくよく知っているわけですから。(*^_^*)
ロバート・アダムスという賢者の大きな特徴は、
つねづね、自分にはどんな教えもない、
と公言していることです。
ロバート・アダムスにしてみれば、
教える者も、教えられる者も、
誰ひとり存在していないことが自明なのです。
どんな「教え」も存在できるはずもありません。
でも、同時に、夢の中には
迷っている“自分”たちがいることも
知っているわけです。
なんとか真我覚醒したいと願っている
“者=間違った想像”たちがいることを。
ロバート・アダムスがサットサンの仲間に
この「四つの原則」を語った日、
彼はあるヴィジョンを見たのだそうです。
そしてそのヴィジョンのなかで
彼はどうやら仏陀であったらしい。
そのとき仏陀は
何百という菩薩(ボディサットヴァ)や
菩薩摩訶薩(マハーサットヴァ)たちに答えて
この「四つの原則」を語ったらしいのです。
“真我覚醒に近い”状態に者に起こる心的状況は
「四つの原則」で特徴づけられるようです。
その一番目が
【あらゆるもの、
すべてのものは、
マインドから出たものである】
という深い理解、深い確信です。
“真我覚醒に近い”状態に者には、
自分が知覚するあらゆるものは
自分のマインドが投影して現象化したものである、
という深い理解が熟しているようなのです。
“真我覚醒に近い”状態を特徴づける
このような理解の「第一の原則」を
●「投影原理」と呼んでおきましょうか。
そして二番目が
【「私」は生まれなかった、
「私」は生きていない、
「私」は死なない】
という深い確信です。
自分はいまだかつて生まれたことがない。
生まれていないのだから
生きたこともない。
そもそも生きていないのだから
自分が死ぬこともない。
という深い確信です。
“真我覚醒に近い”状態を特徴づける
このような理解の「第二の原則」を
●「未生原理」と呼んでおきましょうか。
そして三番目が
【あらゆるものにはエゴがない。
どんなものもエゴや原因をもたない。
何も存在していない】
という深い直感です。
“真我覚醒に近い”状態の者は
自分が知覚するあらゆるものには、
その核となるべきエゴが存在していない
というある種の確信が生まれるらしい。
あらゆる知覚の対象物の中には
それ自体の中に実体としてのエゴが存在していない。
対象物自体の中にそれが出現すべき原因がない、
という深い直覚です。
“真我覚醒に近い”状態を特徴づける
このような理解の「第三の原則」を
●「無因原理」と呼んでおきましょうか。
そして四番目が
【それではないすべてを否定することによって、
真我覚醒とは何かについて深く感じてください。
これでもなく、あれでもなく……】
という深い確信です。
“真我覚醒に近い”状態の者は
自分は真我覚醒を「これ」として
言い当てることができるような知性をもたない。
そもそも自分が知性など称しているもの、
言葉を換えて、マインドの知性などというものは
もともと永遠に唯一不二の不動の存在である意識を
あれやこれとして無理やり分裂させ、分離して
間違った想像を逞(たくま)しくして、
いろいろ偽りの説明を捏造しただけのもの。
マインドが自らひねり出した言葉で
真我覚醒を定義することなどできるはずもない。
とはいえ、そんな自分でも、
「自分がいる」ということくらいはわかる。
「自分が存在する」ことくらいは知っている。
そもそも「自分がいる」ことを否定できない。
「自分がいる」ことを否定したら、
その否定自体が
「自分がいる」ことを証明してしまうのだから。
だから、自分は
真我覚醒を言葉で定義することはできないけれど、
自分の最奥の深みには
真我覚醒が何であるかを知っている
何かが在るという深い内的確信がある。
言葉で積極的にそれが何かを定義することはできない。
しかし、
それが何でないかを言うことはできる。
自分が認識できるもの、
自分が感覚できるもの、
自分が経験できるもの、
自分が言葉にできるもの、
自分が言葉や概念で定義できるもの、
自分が想像できるもの、
それらはすべて真我覚醒ではない。
おしなべて自分が知ることができるものは、
すべて真我覚醒ではない。
マインドが知りうるすべてを取り除いた後に
残っている「何も無いもの」
それが真我覚醒である
という深い直覚です。
“真我覚醒に近い”状態を特徴づける
このような理解の「第四の原則」を
●「不可知原理」と呼んでおきましょうか。
“真我覚醒に近い”状態に者には
そのような「四つの原則」で特徴づけられる
深い理解、確信が起こっていることだろう。
というのでした。
またこの「四つの原則」について
書くことがあるかもしれません。
もし、バチが当たらなければですが。
もっとも、
バチが当たる誰が存在するというのでしょうか?
バチを当てることができる
誰が存在するというのでしょうか?(*^_^*)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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カルマの担い手である身体がある間は
その身体がやることになっているカルマを
果たすわけでしょう。
われわれはその身体に一体化して
身体が果たすそのカルマに反応して
一喜一憂することもできます。
しかし、それは幸せではない。
それにくたびれ果てて、
探求を始めたわけです。
行き着くところ、
われわれがもつ唯一の自由は、
「現れるがまま」のドラマに反応せず、
「在るがまま」の自分のほうを向くことのようです。
もしも、それをする必要がある
自分というものがいるのなら。
「在るがまま」の自分に感謝します。
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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