━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/3/8(第1142号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇このメルマガの趣旨◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇もくじ◇◇
1.投影原理(「静寂」32)
2.編集後記
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■1.投影原理(「静寂」32)
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今日もとても温かい日でした。
毎日が飛ぶように過ぎ去ってゆきますね。
さて、またまた一週間が過ぎて、
"アセンション噺"と
"「私は在る」噺"を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
前回に続いて今回は
ロバート・アダムスがヴィジョンのなかで
仏陀となって説いていた
真我覚醒が近い状態を示す兆候の
「四つの原則」の第一番目:「投影原理」の
はじめの部分を写経したいと思います。
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* 第一の原則
あなたが見るあらゆるもの、
この宇宙、世界にあるあらゆるものは、
あなたのマインドから出て来ているという感覚、
完全な理解をあなたはもちます。
言い換えるなら、
あなたはこのことを感じるのです。
あなたはそれについて考える必要はありませんし、
それを引き出そうとする必要もありません。
それは自然にやって来ます。
それはあなたの一部になります。
あなたが見るあらゆるもの、
世界、人々、虫、昆虫、鉱物界、植物界、
あなたの肉体、あなたのマインドなど、
現れるあらゆるものは
あなたのマインドが現象化したものです。
あなたは努力することなく、その感覚、
その深い理解をもたなければなりません。
『ハートの静寂』(p352)
https://tinyurl.com/4b5dsnb4
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ロバート・アダムスがヴィジョンのなかで
仏陀となって説いた真我覚醒が近い状態を示す
兆候の第一番目「投影原理」を
知的に理解すること、
あるいは知的に納得することさえ、
けっして難しいことだとは思えません。
アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えに
ある程度接してきた者からすれば、
ましてやこうしてロバート・アダムスの
言葉にも触れてきたわれわれの場合は、
自分のまわりを取り囲んでいる世界が
じつは知覚の対象物でしかないことを
確実に【知って】いる
とさえ言えるかもしれません。
たとえば、
こうして起きて普段生活している日常世界では
われわれは人間ですよね。
たとえば今、自分家の中に
Aさん、Bさん、Cさんと
三人の人間がいたとして、
Aさんは、
BさんともCさんとも違う人間のはずです。
Bさん、Cさんは、
Aさんにとっては自分とは別の人間です。
つまり、Bさん、Cさんは、
Aさんにとっては自分が知覚する対象物です。
この関係は、
BさんやCさんの観点からも同じことですから、
BさんやCさんからしても、
残りの二人は自分とは別の人間であり、
相手の二人は自分が知覚する対象物です。
で、通常われわれは
人間世界の約束にしたがって
自分が(相手にとって)対象物であることを認めても、
自分としては知覚の主体なのだと
関係性におけるいわば一人二役を容認します。
つまり、
この肉体は自分という主体だというわけです。
じゃ、この肉体がそう主張するのかと言えば、
もちろん、そんなことはありません。
肉体が自らそんな主張をしているわけじゃなく、
ただ肉体が遭遇するさまざまな状況に応じて
肉体に一体化した習慣化された想念が
その状況への反応として湧き上がるだけです。
じゃ、その想念自体が
知覚している主体なのかと言えば、
むろん、そんなことはありえないわけです。
状況に対する反応として湧き上がってくる
そのような想念も、それ自体は
ただの知覚の対象物にすぎません。
想念は、いわば表現媒体であって、
その表現に気づいている<気づき>でないことは
明らかだと言えるでしょう。
まあ、
こうやって言葉にして書いている状況では、
こういうことは自明なので
"混乱"も"勘違い"も起こりません。
要するに、
自分のまわりを取り囲んでいる世界が
じつは知覚の対象物でしかないことを
われわれも間違いなく【知って】いるわけです。
そして
まわりの世界が知覚の対象物でしかないなら、
それは知覚主体が存在しないかぎり
それ自体では存在できないことも自明です。
知覚の対象物を存在させることができるのは
その対象物に気づいている<気づき>です。
実際に存在しているのは、
知覚の対象物であるまわりの世界ではなく、
その世界に気づいている自分、
自分が存在することを自ら知っている
われわれのほうだということを
われわれは確認し始めているのです。
これを要するに、
われわれが見るあらゆるもの、
この宇宙、世界にあるあらゆるものは、
われわれが関知しないどこかに
それ自体で客観的に存在しているわけではない
ということです。
百歩譲って、たとえばの話、
この宇宙、世界にあるあらゆるものが
われわれが関知しないどこかに
それ自体で客観的に存在していた……
としたところで、
それを知らないわれわれが、
それらから何かの影響を受けるはずもありません。
反応などするはずもないわけです。
自分が気づかないものに
われわれは反応することはできませんから。
われわれの反応というのは、
ただ肉体が遭遇するさまざまな状況に応じて
肉体に一体化した習慣化された想念が
湧き上がってくるだけのことです。
しかし、そうだとするなら、
もし、それ自体で客観的に存在するようなものは
実際は何ひとつ存在しないというのが本当なら、
肉体に一体化した習慣化された想念が湧き上がる
というような状況は、
どうして起こることができるのでしょうか?
いったいどうすれば
そのような事態が起こりうるのでしょうか?(?_?)
その避けがたい論理的帰結は
そのような状況を作り出している物語、
この宇宙、世界にあるあらゆるもの、
そういうものはすべて
「間違った想像」から起こっている
ということ以外にはありえないわけです。
もしこういう理解が拒絶不可能なものとして
自分の中に深く内在化されるなら、
以下の言葉は了解不能どころか、
それ以外ありえない理解として
喜んで受け容れることができるのではないでしょうか。
【あなたが見るあらゆるもの、
世界、人々、虫、昆虫、鉱物界、植物界、
あなたの肉体、あなたのマインドなど、
現れるあらゆるものは
あなたのマインドが現象化したものです。】
(-||-)
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ですから、自分自身に尋ねてください。
「私は一日中、
何について考えているのだろうか?」
もちろん、
もし何かを恐れたり、心配したり、
何かがどこかで間違っていると信じたり、
自分が何かの欠乏や制限、
病気や何かで苦しんでいると思うなら、
あなたは完全にその理解の外にいます。
なぜならあなたは、こういった物事は、
単にあなた自身のマインドが現象化したものであると
理解していないからです。
そして、
あなたがこういった物事を心配すれば、
間違った想像に執着することになります。
それらは「間違った想像」と呼ばれています。
あなたは長年の間、
習慣化したエネルギーに執着してきて、
こういったすべての執着と信念は
習慣エネルギーから来ています。
あなたが感覚的に認識するあらゆる物事は、
あなたのマインドから出たものです。
あなたはイメージを投影しているのです。
それはちょうど、
あなたが映画を上映するようなものです。
あなたが今この部屋で見ているあらゆるものは、
あなたのマインドから来ています。
あなたは、
「どうやって私たちは
みんなで同じものを見ることができるのですか?」
と
尋ねるかもしれません。
それは、
私たちがある特定の習慣エネルギーの中で
育てられたせいです。
ですから、集合的に私たちはみんなで、
同じもの、同じ映画を見ているように見えるのです。
『ハートの静寂』(p353)
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ところがこれほど自明に
事の次第が理解されてきたはずなのに、
それでも、
自分が一日中何を考えているかと内省すれば、
なかなか難しいところがあります。(*^_^*)
あらゆる瞬間に
それが自分が見ている夢だということが
自覚されているとは言い難いのです。
まあ、起こることが起こります。
気がついたら、
いや気がつくまでもなく、
何かかにかを考えていたりするわけです。(*-_-*)
あらゆる瞬間に、
自分が置かれた状況が
単に自分自身のマインドが現象化したものだと
理解しているとは言い難いです。
これまで長いこと習慣化したエネルギーに
こうして執着してきているのでしょう。
実際は、
客観的に存在している状況など何一つなく、
自分が感覚的に認識するあらゆる物事は、
自分のマインドから出たものだというのに。
間違った想像が
イメージを投影しているだけだというのに……。
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それはテレビの番組を見ていて、
その中の登場人物の一人になるようなものです。
そのとき、あなたは
自分がテレビの中にいないことを知っています。
しかし、あなたは自分が
テレビ番組の一人の登場人物であると信じています。
世界に関しても同じことです。
巻き込まれないでください。
私が言っている意味は、
受身になれ、ということではありません。
私が言わんとしていることは、
あなたの肉体は自分がやることになっていることをやる、
ということです。
あなたの肉体は
何かをするためにこの地球へやって来ました。
そのことを覚えておいてください。
それはあなたが知らないままに何かをやります。
それはそれ自身の世話をします。
ですから、心配しないでください。
でも、自分自身を
自分の肉体と一体化しないでください。
それは別々のものです。
あなたの肉体はあなたではありません。
では、そのことを証明してみましょう。
あなたが自分の肉体に言及するとき、
何と言いますか?
「私の体」と言いませんか?
あなたが言及するこの「私の」とは、
誰のことでしょうか?
あなたは「私の指」、「私の目」と言います。
あなたが言及しているこの「私の」は、
誰のことでしょうか?
あなたが
自分の肉体について話しているはずがありません。
なぜならあなたは、
それをまるで自分が所有しているかのように、
それを「私の」体と言っているからです。
誰がそれを所有しているのでしょうか?
このことはあなたに、
あなたは自分の肉体ではないことを証明しています。
ですから、
自分自身をその肉体と世界と
一体化しないようにしてください。
『ハートの静寂』(p354-355)
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われわれの肉体は
(古来「天の配剤」と呼ばれてきた)
無限のデータベースを操作する
超越的知性によって選出されたカルマを
割り当てられ、そのようなシナリオを抱えて
何かをするために
この地球へやって来たのでしょう。
あえてわれわれがオロオロと戸惑い、
心配しなくても、
いずれにせよやることになっていることは
やらなければならないのでしょう。
むしろ、
マインドで邪魔しないほうが
ずっと滞りなく、優雅に、
面倒を見てもらえるのかもしれません。
われわれがもつ唯一の自由は、
いつでも常に内側を見ることができる
ということのようですから。
「自分の体」というわれわれの言葉遣い自体が
われわれが言う「自分」が
この「体」ではないことを証明している
というロバート・アダムスの指摘は
とても面白いですね。(^_-)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(__)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(__)m
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おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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キンドル本の
『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識
https://tinyurl.com/yzemhvs3
手にとっていただけました?(^^;)
読み物として面白ければと思っています。
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■2.編集後記:
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われわれがもつ唯一の自由は、
「現れるがまま」のドラマに反応せず、
「在るがまま」の自分のほうを向くこと。
自分というものがいるかぎりは、
そして努力が必要なあいだは、
努力が起こるのでしょう。
「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-)
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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