━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/3/21(第1144号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇このメルマガの趣旨◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇もくじ◇◇
1.無因原理(「静寂」34)
2.編集後記
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■1.無因原理(「静寂」34)
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暖かくなりましたね。
そして相変わらず
毎日が飛ぶように過ぎ去ってゆきます。
というか、むしろ
"コマ落ち"で飛び去ってゆくような。
一日や二日、気づかずに過ぎた日があっても
なんの不思議もない感じです。(^_-)
さて、またまた一週間が過ぎて、
"アセンション噺"と
"「私は在る」噺"を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
前回に続いて今回は
ロバート・アダムスがヴィジョンのなかで
仏陀となって説いていた
真我覚醒が近い状態を示す兆候の
「四つの原則」の第三番目:「無因原理」の
はじめの部分を写経したいと思います。
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*第三の原則
あなたはあらゆるもののエゴのなさに気づき、
それを深く理解します。
つまり、
あらゆるものはエゴをもっていないということです。
私はただ感覚のある生き物について
話しているのではありません。
私は鉱物界、植物界、動物界、
人間界について話しています。
何もエゴをもっていません。
エゴは存在しないのです。
あなたはそれが何を意味するかわかりわかりますか?
それが意味しているのは、
あらゆることが神聖であるということです。
あらゆるものが神です。
エゴが入って来るときだけ、
神、あなたが「神」と呼んでいるものが消えます。
あらゆるものが神になります。
あなたはあらゆるものに対して敬意をもちます。
エゴがないとき、
あなたはあらゆる人とあらゆるものに
敬意をもちます。
ですから、
あなたはあらゆる物のエゴのなさに
気づかなければなりません。
動物も植物も鉱物も人間もエゴをもっていません。
どんな原因もないので、
どんな結果もありえません。
ただ聖なる意識があるだけで、
あらゆるものが聖なる意識となります。
ですから、
もしあなたが、自分の隣人、動物、その他を
エゴがないものとして眺めれば、
あなたは彼らを自分の真我として見ることでしょう。
それがわかりませんか?
『ハートの静寂』(p371-372)
https://tinyurl.com/4b5dsnb4
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ここでロバート・アダムスは
「エゴのなさ」という表現を使っています。
エゴは存在しない。
ロバート・アダムスは
"エゴ"という言葉にどんな意味を込めていると
理解すべきでしょうか?
それは気づきの対象である現象世界という
「見かけ」のなかにいわば「個別」を成立させる
その根拠としての「実体」の意味でしょうね。
つまり、人間の場合なら
見かけの機能単位である肉体の中に
何らかの「実体」が客観的に存在していて、
それが肉体という「見かけ」の機能単位が
現象世界全体から分離・独立した"個人"という
自律存在であることを保証している。
まあ、そのような意味合いだと思われます。
ところで、
意識の内容物として展開される現象世界とは
絶対の主体性である純粋意識(or<気づき>)の
光に照らし出された「対象物」の集合でしょう。
「対象物」とは知覚されることなしには
存在できません。
つまり、現象世界とは
知覚されることで現れることができるのです。
知覚されないかぎり
そもそも対象物は現れることができません。
そして対象物を現象させるこの知覚過程自体も
時間-空間という観念化装置の介入なしには
ありえないプロセスです。
時間も空間もそれ自体は対象物ではありません。
それはすべての対象物の顕現に先立って必要な
対象物を現象させるための基本的仕組みです。
この時間と空間という観念化装置の基盤の上に、
知覚する「主体」と
知覚される「対象物」という
根源的二元対立をを前提とする意識の世界が
展開するわけです。
「意識」は二元性の原理の上に存在します。
そしてその「意識の世界」は、
二段階の虚構の分離によって成り立つのです。
●第一段階目の分離:
まず絶対の主体性である<気づき>が
何の原因も理由もなく
「私は在る」と気づきます。
その「私」が自分を
対象物のように知りたいと望むのです。
そして「主体」と「対象物」という
第一段階目の分離である根源的二元対立に
踏み込むのです。
●第二段階目の分離:
自分の存在に気づいた「私」は
途方もない創造力であるマインドが展開する
「見かけ」(現象世界)の
ある対象物にフォーカスし、
それと一体化して、
それぞれの知覚の「対象物」が
そのまま知覚の「主体」でもありうる
という虚構の成立に向けて
さらなる一歩を踏み出します。
知覚の「対象物」が個々に"エゴ"、
(つまり、個別の"実体")をもっているという
間違った想像に踏み込むわけです。
この段階では、
時間-空間という概念化装置は
単に「感覚過程」を可能にするだけではなく、
記憶と想像という思考機能を通じて
時間を"過去"と"未来"に展開し、
対象物から"物語"を捏造します。
この第二段階目の分離を支えるのが
"エゴ"(個々の対象物固有の"実体")
という偽りの想像(つまり虚構)です。
ロバート・アダムスが言う
「あらゆるもののエゴのなさに気づく」とは
「現れるがまま」の「見かけ」は
実在する源泉から流れ出す創造力が
投影する幻像であって、
その「見かけ」のなかに
いかなる"実体"も存在することはできない
という深い確信のことです。
仮想された個々の対象物が
固有の"実体"などもつはずがないわけです。
眠りの中で夢見ていた世界に
どんな"実体"も存在していないように。
> あらゆるものはエゴをもっていないということです。
> 私はただ感覚のある生き物について
> 話しているのではありません。
> 私は鉱物界、植物界、動物界、
> 人間界について話しています。
> 何もエゴをもっていません。
> エゴは存在しないのです。
ロバート・アダムスは
「あらゆるものは存在しない」
と断定するところまで
一挙に突っ走ることをしません。
「あらゆるものはエゴをもっていない」
という微妙なさじ加減の言い回しをします。
まだアドヴァイタ号を自由に乗りこなせない
われわれのために
自転車に補助輪を付けてくれるようなものでしょう。
「あらゆるものは存在しない」
と言われても
われわれはその言葉を知的に受け取って
所定の場所に処理済みの知識として
保管するだけです。
しかし、
「あらゆるものはエゴをもっていない」
と言われると、
え、どういう意味?(?_?)
ってなりますよね。
そして、「エゴ」という言葉には
それ自体の固有の連想野もあるようです。
> あなたはそれが何を意味するかわかりわかりますか?
> それが意味しているのは、
> あらゆることが神聖であるということです。
> あらゆるものが神です。
> エゴが入って来るときだけ、
> 神、あなたが「神」と呼んでいるものが消えます。
> あらゆるものが神になります。
> あなたはあらゆるものに対して敬意をもちます。
> エゴがないとき、
> あなたはあらゆる人とあらゆるものに
> 敬意をもちます。
> ですから、
> あなたはあらゆる物のエゴのなさに
> 気づかなければなりません。
> 動物も植物も鉱物も人間もエゴをもっていません。
なるほど。
キリスト教的には
そういう意味合いがあるんですね。
「あらゆるものはエゴをもっていない」とは、
「あらゆることが神聖であるということ」
を意味しているようです。
「現れるがまま」の世界であっても、
いったんそこに
「あらゆるものはエゴをもっていない」
という知識が加わると、それは
「あらゆることが神聖である」
ということを意味することになるようです。
ロバート・アダムスは
上述の言葉に続く別の場所で次のように語ります。
──────────────────
私は、すべてのもの、
ただ一部のものではなく、
最大の銀河から最小の原子まで
すべてのものと言います。
どんなものもエゴをもっていません。
もしそれらがエゴをもっていなければ、
それはどんな源泉ももっていません。
なぜなら、
もしそこにエゴがあるなら、
そこには源泉がなければならないからです。
ただこの偉大な真理を理解することによって、
あなたは即座に自由になります。
それはあなたのマインドを吹き飛ばしてしまいます。
それは禅の公案のようなものです。
突然、何かがあなたのマインドの中ではじけ、
マインドがなくなったのです。
なぜなら、
マインドはどんな源泉ももっておらず、
どんなエゴももっていないからです。
それは一度も存在したことがありませんでした。
そして、あなたはとても気分よく感じます。
あらゆるものはエゴがありません。
人間だけでなく、あらゆるものです。
山、木、太陽、どんなものもエゴをもっていません。
それはつまり、
それらはどんな存在ももっていないという意味です。
では、それらはどこから来たのでしょうか?
あなたが夢を見るとき、
その夢はどこから来ますか?
同じ場所です。
どこからもやって来ないのです。
ただ間違った想像からやって来ているのです。
……
エゴがないことがあらゆるものの土台です。
あらゆるものがエゴをもっていません。
私は感覚のある生き物についてだけ
話しているのではありません。
あらゆるものです。
鉱物界、植物界、動物界、人間界などなど。
その背後にエゴはありません。
つまり、
その存在のための原因が何もないということです。
これを完全に理解することによって、
あなたはいつもこの瞬間に生きることができます。
それはあなたを中心に置きます。
そのことが、
どんなものの背後にもどんなエゴもないことが、
あなたにとって個人的に何を意味するのか、
考えてみてください。
何かが存在するためにどんな原因もないのです。
再び言えば、夢のように、です。
夢に原因がありますか?
突然、あなたは自分が夢見ていることに気づき、
あらゆることが存在します。
それはどこから来ましたか?
それはマインドから来ました。
それは夢です。
そして、
夢から出る唯一の方法は何でしょうか?
目覚めることです!
ですから、この世界もまたある種の夢です。
それは実体をもっていません。
あらゆることは一時的です。
その背後にどんなエゴもありません。
『ハートの静寂』(p373-376)
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【最大の銀河から最小の原子まで
どんなものもエゴをもっていません。
もしそれらがエゴをもっていなければ、
それはどんな源泉ももっていません。
なぜなら、
もしそこにエゴがあるなら、
そこには源泉がなければならないからです。】
"エゴ"という言葉には
そのような意味が込められているんですね。
【何かが存在するためにどんな原因もないのです。
再び言えば、夢のように、です。
夢に原因がありますか?
突然、あなたは自分が夢見ていることに気づき、
あらゆることが存在します。
それはどこから来ましたか?
それはマインドから来ました。
それは夢です。】
【夢から出る唯一の方法は何でしょうか?
目覚めることです!
ですから、この世界もまたある種の夢です。
それは実体をもっていません。
あらゆることは一時的です。
その背後にどんなエゴもありません。】
あらゆる知覚の対象物は
マインドが投影したものです。
マインドの想像には
どんな根拠も原因もありません。
目覚めの前に見ていた夢の世界に
どんな根拠も原因もなかったように。
マインドの背後には
どんな根拠も原因もないのです。
マインドは夢見るパワー。
それは束の間の幻影を見せることができる。
しかし、
「私」が注意を向けないかぎり
それは存在していない。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(__)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(__)m
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キンドル本の
『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識
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手にとっていただけました?(^^;)
読み物として面白ければと思っています。
………○…………○…………○………
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■2.編集後記:
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「現れるがまま」の見かけの中では
あらゆるものはエゴをもっていない。
すべては神の一人芝居であるようです。
われわれがもつ唯一の自由は、
「現れるがまま」の見かけのドラマに反応せず、
そこに神の一人芝居を見ること
なのかもしれません。
それがそのまま
「在るがまま」の自分のほうに
フォーカスすることなのでしょう。
自分というものがいるかぎりは、
そして努力が必要なあいだは、
努力が起こるのでしょう。
「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-)
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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