2026-04-12
Vol.1147
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆  ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2026/4/12(第1147号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆──────☆☆──────────────────── ☆☆     ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──  ☆☆   ☆☆      https://www.ascensionkan.com/mm/ ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇このメルマガの趣旨◇◇ アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に 相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。  あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、  それを得たり、培ったりする必要はありません。  あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に  注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi) 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。 ────────────────── ◇◇もくじ◇◇ 1.意識:スクリーン(「静寂」36) 2.編集後記 ────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1.意識:スクリーン(「静寂」36) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今日は5月並みと言われるほどの 温かい一日でした。 さて、またまた一週間が過ぎて、 “アセンション噺”と “「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。 『アセンション館通信』配達人のpariです。 この永遠の<今>を いかがお過ごしでしょうか? 同じアドヴァイタの真理を指し示そうとする ジニャーニの言葉でも、 通路が異なれば もちろん表現も異なってくるわけでしょう。 ロバート・アダムスの表現は とても軽く、明るく、温かい感じで、 しかもほとんど論理性を感じさせません。 『ハートの静寂』のはじめのほうの 「4章 意識」という章は 次のような言葉で始まっています。 ──────────────────    4章 意識        意識とは、一つの物ではありません。  あなたはそれを描写することはできません。  それは世界と正反対のものではありません。  そして、それは一つの対象物ではありません。  それを見る人は誰もいません。    意識とは、存在することを言い換えたものです。  何の存在でしょうか? 何もない存在です。    『ハートの静寂』(p047)  https://tinyurl.com/4b5dsnb4 ────────────────── ここで語られているのは、 ある意味、意識のすべてでしょうね。 要点1: 意識とは、物ではない。 要点2: よって、 意識を何らかの属性として 定義したり描写したりはできない。 要点3: にもかかわらず、 それは世界とは別物であるとか 世界とは対極にあるとか 世界とは無関係だということでもない。 要点4: そもそも 意識には属性がないので それは対象物にはなりえない。 要点5: だから 意識を見る者はいない。 というわけで、 要点1~5のすべてを見ても 意識が何かはまるでわかりません。(*^_^*) どうやら 意識は思考が取り扱える対象の範囲内には 存在しないようです。 ここまで述べてから、 ロバート・アダムスは 一挙に結論にたどり着きます。 要点6: 意識とは、 存在を意味するもう一つの表現だと。 というと、 その存在とは、 何が存在することを意味するのか? 要点6: 意識とは、 「何もないもの」が存在するという意味だ、と。 じつに、 なんともはや、という感じですが、 ロバート・アダムスは これらの短い言葉で一挙に 意識についてすべてを語ったようです。 そのしばらく後に 次のような一節があります。 ──────────────────    *意識──現実のスクリーン      では、意識とは何でしょうか?  私たちは、  意識とはそれ自身を知るパワーだと  言うことができます。  それは自己充足している絶対的現実です。  言い換えれば、  意識以外の何も存在していません。  意識とあなた、  あるいは、  意識と世界があるのではありません。  ただ意識だけがあります。  意識とは現実のスクリーンであり、  全宇宙のすべてのイメージが  現実のスクリーンに重ね合わされている、  と言うこともできるでしょう。    『ハートの静寂』(p052) ────────────────── ここでロバート・アダムスは、 意識の働きの側面、 意識の権能、 意識のパワーについて言及します。 【意識とはそれ自身を知るパワー】であると。 つまり、 意識とは、 自ら(が存在していること)を知る 能力のことであると。 別の言い方をするならば、 それは【存在感】のことだと言えるかもしれません。 そしてそれは 【自己充足している絶対的実在】であると。 さらに、ロバート・アダムスは 実際には 【意識以外は何も存在していない】のだと言います。 意識とわれわれがあるのでも、 意識と世界があるのでもなく、 【ただ意識だけがある】のだと。 別の表現をするなら、 【意識とは現実を映し出すスクリーン】だ という言い方もできるのかもしれません。 全宇宙のすべてのイメージは 唯一実在する意識というスクリーンに 重ね合わされていると言ってもいい、と。 ──────────────────  あなたが映画館へ行き、  映画を見始めるとき、  そのスクリーンはイメージに覆われています。  あなたはスクリーンを忘れ、  そのことをもはや考えません。  あなたはイメージを眺め、  イメージと一体化し、映画を楽しみます。  スクリーンはあなたから遠く離れています。  しかし、そのイメージを掴もうとしたら、  あなたは何を掴むでしょうか?  イメージではなく、スクリーンを掴みます。  イメージはけっして存在したことがないので、  あなたはスクリーンを掴むことになります。  そして、私たちに関しても同じことです。  私たちは、自分が  人生のスクリーンに重ね合わされたものだ  ということを忘れています。  そして、私たちは本当はスクリーンであり、  それが意識です。  私たちは多くの転生を通じて、  自分はそのイメージであり、一人の人であり、  また他人がいて、  この世の中に戦って  得るべき永遠の物事があると信じます。  しかし、こういう物事は偽物だ、  と私はあなたに言います。  イメージは蜃気楼の中の水のようなもの、  ロープがヘビに見えるようなもの、  空が青いようなものです。  しかし、  空もなければ、青い色もありません。  ヘビが本当はロープであることを発見するとき、  それは二度と  あなたを恐がらせることはないでしょう。  あなたが蜃気楼の中の水を追い求めれば、  失望し、砂を掴むことになります。  言い換えるなら、  それらは視覚的幻想なのです。  皆さん、宇宙とは視覚的幻想です。    『ハートの静寂』(p053) ────────────────── われわれが目覚めて見る いわゆる日常世界と呼ばれる夢のなかで、 自分だと思い込んでいる人間 (つまり、この肉体)は、 実際は上映されている映画の中の登場人物であり、 本当のわれわれはその映画を映し出している スクリーン(意識)のほうなのに、 われわれは普段そのこと忘れている、 というのです。 ロバート・アダムスは言います。 実際に存在しているのは 意識というスクリーンのほうであって、 それに重ね合わせられているイメージは 一瞬現れた、つかの間の「見かけ」にすぎない。 それは存在していない。 【イメージは蜃気楼の中の水のようなもの、  ロープがヘビに見えるようなもの、  空が青いようなもの】 【皆さん、宇宙とは視覚的幻想です】と。 ──────────────────  あなたが夢を見ているときのように、  それは夢にすぎません。  しかし、  「あなた」が夢を見ているかぎり、  誰もその夢が夢だとあなたに言える人はいません。  あなたは常に自分の権利を主張し、言います。  「これは夢ではありませんよ。   今、ロサンゼルスでは、暴動が起き、   火事が起き、人々は殺されています。   どうしてこれが夢だなんて言えるのですか?」  と。    しかし、  あなたが自分の夢から目覚めるとき、  夢はけっして存在しなかったのです。  それはあなたから出て来て、  またあなたの中に戻って行きました。  そのことを熟考してください。  その夢はあなたから出て来て、  それ自身を外部化しました。  その夢はまったく制限されていませんでしたね?  あなたはただ一つの場所にいることを、  夢見たのではありませんでした。  あなたは全宇宙について、  あらゆる種類のことが起こることを夢見ました。  あなたは飛行機に乗ってアフリカへ行き、  ベルギー領コンゴへ行きました。  あなたは幼い少年、少女でしたが、  成長しました。  これすべてがあなたの夢の中にあります。  あなたは自分の夢のために戦い、  自分のその夢の中で自分の権利のために戦い、  殺人さえ犯します。  それにもかかわらず、  あなたが目覚めると、夢は消えてしまいます。  夢はけっして存在しませんでした。    『ハートの静寂』(p53-54) ────────────────── 夢を見ているかぎり、 その夢の中の誰も その夢が夢だとあなたに言える人はいません。 そうなんですよねぇ。 朝目覚める前の夢のなかで、 誰も「これは夢だ」とは 言ってくれませんものねぇ……。 でも、目が覚めたら、 それまで観ていた夢の世界は 実際はどこにも存在していないことは明らかです。 それは夢だったのですから。(*^_^*) (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、  それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。  『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。<(__)> (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(__)m   ………○…………○…………○……… 「ニサルガ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号は すべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/   ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム: http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702   ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518   ………○…………○…………○……… キンドル本の 『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識 https://tinyurl.com/yzemhvs3 手にとっていただけました?(^^;) 読み物として面白ければと思っています。   ………○…………○…………○……… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今日は雲ひとつない青空でした。 しかし、 “青空”というのは実在しないんですよね。 実際は“青い色”もないし、 つまり“空”もなかったわけです。 ロバート・アダムスは 【皆さん、宇宙とは視覚的幻想です】 と保証してくれています。 すべては「私」という 鏡の中で起こっている見かけにすぎません。 (1)すべての見かけは「私」ではない。 (2)すべての見かけは「私」のなかに現れる。 (3)すべての見かけは「私」である。 「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-) お休みなさい。 (-||-) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ────────────────── mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2026 paritosho ──────────────────
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