━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/4/26(第1149号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇このメルマガの趣旨◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇もくじ◇◇
1.所有したことがない(「静寂」38)
2.編集後記
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■1.所有したことがない(「静寂」38)
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毎日が飛ぶように通り過ぎ去りますか?
それともゆっくりでしょうか。
さて、またまた一週間が過ぎて、
“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ロバート・アダムスのサットサンの
エッセンスが編纂された本『ハートの静寂』には
全部で20の章が収められています。
そのちょうど中程に
「11章 放棄」という章があります。
『ハートの静寂』という本は
全体どこを読んでもまるで奇跡のような
即席の言葉が流れ出してくる本なのですが、
中でもこの「11章 放棄」は
彼という稀有な通路からしか流れ出ることのない
まさにその独壇場とも言える章です。
これから何度かこの章が明かす秘密に
戻ってくるような気がします。
それは否が応でも虚構の重荷が取り除かれて、
身軽になってゆくプロセスでもあることでしょう。
最初はこんな言葉が語られています。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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11章 放棄
あなたは絶対的に何も放棄するものはありません。
明け渡すものも、手放すものも、何もありません。
あなたはすでに解放されているのです。
けっして存在したことがない何かを、
自分は手放さなければならない、と
どうしてあなたは信じることができるのでしょうか?
あなたは自分の執着を手放さなければならない、
と信じています。
どうして真我が
執着をもつことがありえるでしょうか?
あなたは自分の恐れすべてを、
憂鬱すべてを、
自分を煩わせるすべての物事を
明け渡さなければならない、と思っています。
誰に対してでしょうか?
これらの物事はあなたのものではありません。
これらはあなたに所属していません。
あなたは純粋な現実です。
あなたは不滅の真我です。
あなたはけっして生まれたことがなく、
けっして生きたことがなく、
けっして去ることがありません。
あなたは一なるもの、
すべてに行き渡っている一なるものです。
したがって、
あなたは放棄するものを何ももちません。
というのは、そもそもあなたは
一度も何かを所有したことがないからです。
自分は
放棄すべき何かをもっていると信じることは、
実に利己的なことです。
あなたが明け渡すべきものは、
何もありません。
エゴだけが、
何かが明け渡されなければならない、
何かが放棄されなければならない、
何かを手放さなければならない、
と信じています。
そもそも、
何かをもっている人とは誰でしょうか?
誰もいません。
ここにあるただ一つの実在。
あなたはそれだ、ということです。
『ハートの静寂』(p221)
https://tinyurl.com/4b5dsnb4
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読んでおわかりのように、
ここでのロバート・アダムスの言葉は
われわれが永遠に不動の唯一の実在、
真我であるという前提で語られています。
そのような二番目のない唯一の実在である真我が
どうして執着をもてるというのか?
という前提です。
われわれは、実際は
永遠に不動の唯一の実在である真我なのですから
どんな“恐れ”も“憂鬱”も
いかなる“自分を煩わせる物事”も
もってなどいないわけです。
もともと自分がもってもいない“恐れ”や“執着”、
そしてあらゆる“自分を煩わせる物事”を、
どうやって明け渡せるというのか?
そして誰に? というわけです。
> これらの物事はあなたのものではありません。
> これらはあなたに所属していません。
> あなたは純粋な現実です。
> あなたは不滅の真我です。
これはもう、
まったく理屈ではありません。
ただハートが知っている真実です。
われわれはけっして生まれたことがなく、
けっして生きたことがなく、
けっして去ることがない
永遠に不滅の実在である真我です。
それはすべてに行き渡っている一なるもの。
われわれは放棄するものを何ももちません。
そもそもわれわれは
一度も何かを所有したことなどないからです。
ただエゴだけが、
何かを明け渡されなければならない、
何かを放棄しなければならない、
何かを手放さなければならない、
と信じているのです。
しかし、そもそも、
何かをもっている人とは誰でしょうか?
誰もいません。
ここにあるのは唯一の実在だけです。
そしてわれわれはそれなのです。
では、
われわれが「それ」であるという
その「それ」とはいったいどういうものなのか?
それは存在しないということなのか?
それは何もない、
虚無だということとは違うのか?
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*私たちは分離していません──
たった一つの真我があるだけです
あなたは私といっしょに、
静寂の中ですわるためにやって来ました。
静寂の中にすべてのパワーがあります。
静寂の中にすべての答えがあります。
幸福が自然とあなたの元にやって来ます。
喜びがあなたの元にやって来ます。
静寂の中ですわるとき、
あなたは自分が誰かを思い出します。
私たち全員が
たった一つの真我だとわかるようになります。
これはどういう意味でしょうか?
それは、
私たちは分離しておらず、一つであり、
たった一つの真我であるという意味です。
私たちみんながたった一つの真我なのです。
たった一つの真我が、
選択のない、努力のいらない、
純粋な気づきを通じて、
それ自身を表現しているのです。
選択のない、努力のいらない、
純粋な気づき、これがあなたの本質です。
純粋な気づきです。
これについて考えてみてください。
あなたは純粋な気づき、
選択のない、努力のいらない、
純粋な気づきです。
純粋な気づきとはどういう意味でしょうか?
純粋な気づきとは、
単にあなたは
すべてに行き渡っている意識だという意味です。
あなたの本質はあらゆることの中に遍在しています。
あなたは、
全世界はあなたの考え、
あなたのマインドの直接の産物であることに
気づいています。
それはただ気づくだけです。
あなたは、木々、山々、空を、
境界のないスペース、
純粋な意識のように気づきます。
あなたは自分自身の現実、
自分の真我の真実に気づいています。
あなた自身が純粋な気づきであり、
あなたはそれです。
これについて熟考してください。
真我は純粋な気づきであり、
あなたはそれなのです。
『ハートの静寂』(p221-222)
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どうやらわれわれが「それ」であるという
その「それ」とは、
われわれは存在していない
という意味ではないようです。
それはただ
われわれは分離していない
ということだけを意味しているようです。
ロバート・アダムスの言葉をハートに沈めて
われわれが静寂の中ですわるとき、
われわれは自分が誰かを思い出す。
われわれは全員が
実際はたった一つの真我であることがわかる。
その唯一の実在である真我が、
その選択のない、努力のいらない、
純粋な気づきを通じて、
それ自身を表現しているのです。
純粋な気づきとはどういう意味か?
純粋な気づきとは、
すべてに行き渡っている意識だという意味です。
われわれの本質は
あらゆることの中に遍在しています。
われわれは
全世界は自分の考え、
自分のマインドの直接の産物であることに
気づいている。
ただし、
われわれはただそれに気づいているだけです。
自分が気づいているそれらの物事を
対象物として所有しているわけではない。
なにしろ
永遠に不動の唯一の実在である
純粋な気づき以外には
何ひとつ存在していないからです。
われわれはただ気づいているだけです。
われわれは、木々、山々、空を、
境界のないスペース、
純粋な意識のように気づいています。
それらは純粋な意識である自分の表面に
一瞬覆いかぶさった見かけであることに
気づいているのです。
われわれは気づいている自分自身こそが
実在であることに気づいています。
その気づいている純粋な気づき以外に
何ひとつ存在しないことに気づいています。
われわれは自分の真我の真実に気づいています。
われわれ自身こそが純粋な気づきであり、
われわれがそれなのです。
ならば、
われわれは選択のない、努力のいらない、
純粋な気づきであるとして、
そのわれわれを煩わせるように思われる
これほどまでリアルに見えるすべての物事、
あらゆる出来事はいったいどこから現れるのか?
──────────────────
努力のいらない、選択のない自由。
それ以外のあらゆることが幻想です。
それ以外のあらゆること、
世界、宇宙、個人的神は幻想です。
他のあらゆることが幻想です。
では、これほどまで現実に見える
こういったすべての物事は、
どこからやって来るのでしょうか?
このすべての人々は
どこからやって来るのでしょうか?
あなたが一日中見ているこういったすべての物事は、
どこからやって来るのでしょうか?
あらゆることはどこからやって来るのでしょうか?
それは、
「私-思考」からです。
「私-思考」が小さい自己を生み出します。
そのせいで、
あなたは自分が一個の肉体である、
マインドであると考え、
目の前にあるものが自分の状況であり、
自分は問題をもっていると考えます。
だから、
あなたは物事を通じて働かなければなりません。
「私-思考」がこういったすべてを
あなたに対しておこないます。
それはあなたの人生を完全に破壊し、
現実を隠し、世界を生み出します。
ですから、真我に戻ってください。
あなたは「私-思考」を超越しなければなりません。
これは、
あなたが今までもっている知識を
すべて忘れることによって、為されます。
あなたが知っているすべての知識、です。
あなたが生まれたときから、
教えられてきたあらゆることが、
放棄されなければならないのです。
あなたのすべての信念、
あなたのすべての教義、先入観、
それらすべてが去らなければならないのです。
それらが去ったときに、
あなたは真我に留まり、
あなたは無条件で、選択がない気づきになります。
私たちは自分が所有しているものに執着します
──人、場所、物。
私たちはそれらを
自分のマインドから追放することができません。
この執着ゆえに、
私たちは何世も生きるように見えます。
私たちが多くの経験を通過するのは、
単に私たちが何かに執着しているからです。
『ハートの静寂』(p223-234)
──────────────────
ロバート・アダムスは
われわれという
努力のいらない、
選択のない自由だけが実在していて、
それ以外のあらゆることは幻想だと言います。
純粋な気づきだけが実在していて
それ以外のあらゆること、
あたかも気づきの対象物として
存在しているように見える
世界、宇宙、森羅万象、
その創造主として想像された個人的神などは
すべて幻想だというのです。
では、これほどまで現実に見える
こういったすべての物事は、
いったいどこからやって来るのか?
すべての人々は
どこからやって来るのでしょうか?
われわれが一日中見ているこういったすべての物事は、
いったいどこからやって来るのか?
あらゆることはどこからやって来るというのか?
ロバート・アダムスは
それらは、
「私-思考」からやってくると言います。
「私-思考」が小さい自己を生み出し、
その偽りの“小さい自己”のせいで、
われわれは自分が一個の肉体である、
マインドであると想像して、
目の前にあるものが自分が置かれた状況であり、
そのなかで「自分は問題をもっている」
と間違った想像をするのだと。
そうなると、
その想像された状況の中では
われわれは物事を通じて働かなければならない。
もともと選択のない自由な
純粋な気づきであったわれわれは、
「私は在る」と気づいた瞬間に
その一瞬の「私-思考」のゆえに
無用な間違った想像に走ってしまう。
ひとたびこういった
間違った想像に誘導されてしまうと、
その「私-思考」という偽りの“小さい自己”は
途方もない創造力を発揮することになる。
それはたちまち宇宙という大伽藍を創造して
動かしがたく見える困難な状況を幻出する。
われわれの選択のない自由は完全に破壊され、
われわれという純粋な気づきは
絶えず状況に小突き回されつづけ、
対処を迫られつづける肉体のなかに閉じ込められる。
いまや自分が本当は誰であるのかわからなくなり、
ひたすら自分の間違った想像が描き出す
おどろおどろしい状況の中に独り取り残される。
われわれはそこで“小さい自己”の
住処としての肉体の保全に執着し、
幻出された状況のなかでガラクタをかき集め、
そのガラクタに執着してますます深みにハマる。
この苦境から脱出するにはどうすればいいのか?
すべての間違った想像を解体して、
本来の自分に戻るしかない。
永遠に不動の唯一の実在である真我に戻るしかない。
われわれは「私-思考」を超越しなければならない。
それは自分が今までもっている知識を
すべて忘れることによって、為される。
自分が知っているすべての知識。
肉体の誕生以来教えられてきたあらゆることを
放棄しなければならない。
自分が抱えたすべての信念、
自分がもっているすべての教義、先入観、
それらすべてを除去しなければならない。
そのすべてが去ったときに、
われわれは真我に留まり、
無条件で、選択がない気づきに戻ることができる
われわれは自分が所有しているものに執着する。
人、場所、物。
われわれはそれらを
自分のマインドから追放することができない。
この執着ゆえに、
われわれは何世もの幻想の生涯を送ることになる。
われわれが多くの経験を通過するのは、
ひとえにわれわれが何かに執着しているから
なのだから。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(__)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(__)m
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「ニサルガ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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キンドル本の
『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識
https://tinyurl.com/yzemhvs3
手にとっていただけました?(^^;)
読み物として面白ければと思っています。
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■2.編集後記:
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すべては「私」という
鏡の中で起こっている見かけにすぎません。
(1)あらゆる現れは「私」ではない。
(2)あらゆる現れは「私」のなかに現れる。
(3)あらゆる現れは「私」である。
「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-)
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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