━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/5/24(第1153号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇このメルマガの趣旨◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇もくじ◇◇
1.「在るがまま」と「現れるがまま」
2.編集後記
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■1.「在るがまま」と「現れるがまま」
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さて、またまた一週間が過ぎて、
“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ロバート・アダムスのサットサンの
エッセンスが編纂された本『ハートの静寂』の
「11章 放棄」という章からの写経を
つづけてきました。
この章を毎朝寝床の中や起きてから読んでいると、
実力と違うことはわかっていても、
何やら不思議な気分にもなってきます。
わたしは(といってもエゴのことですが)、
とても信じやすいタイプの人間です。
なので、
マインドは真我を理解できないということを
何度も聞かされているにもかかわらず、
それでも何度も何度も読んでいるうちに
やっぱり信じ始めるんですよね。
われわれが毎日目の前に見ている世界は、
<意識>の「現れるがまま」の相です。
それは一瞬一瞬の変化の相であって、
現れることはできても、
存在することはできない。
じゃあ、
その「現れるがまま」の変化の相は
それだけで自前で存在しているのか?
いや、
熟睡の中では世界は存在していないのです。
その「現れるがまま」の
変化の相が存在するためには、
その「現れるがまま」の変化の相に
気づいている者が必要なのです。
その気づいている者がいないことには、
「現れるがまま」の変化の相だけが
自前で存在することはできない。
では、
その変化の相に気づいている者は、
その変化の相とは別個に存在しているのか?
そこがややこしいところです。
その気づいている者がその変化の相とまったく無縁なら、
その変化の相自体が現れることができない。
その変化の相に気づいている者は、
その変化の相との接触点を
もたなければならないでしょう。
つまり、
その変化の相に気づいている者は、
当人自体がその変化の相の中に
いなければならないということです。
しかし、
「現れるがまま」の変化の相は
現れることはできても、
存在することはできなかったのではないのか?
ならば、
当人自体がその変化の相の中にいる
そんな変化の相に気づいている者など、
いるはずがないではないか!
いや、だから、そこがややこしいところなの。(*^_^*)
当人自体がその変化の相の中にいながら
その変化の相に気づいている者というのが、
個人、つまりエゴというわけ。
その個人(エゴ)は、
“自分”がその変化の相に気づいていると思っている。
気づいている主体が、
その「現れるがまま」の変化の相の中にいる、
と思い込んでいる。
実際は、
たったひとつの<意識>しか存在していない。
しかし、そのたったひとつの<意識>は、
ただ「在るがまま」であるだけでは
自分が存在していることを知ることができない。
その純粋な意識の状態を
ニサルガダッタ・マハラジは<気づき>と呼んだ。
つまり<気づき>は、
ある意味、空無と同じものと言える。
しかし、<気づき>が空無と同じではないのは、
<気づき>が実際に存在していることだ。
それは自分が存在することを知っている、
という強烈な潜在能力を秘めて実在している。
まるで、
それが真実であることを証明するかのように、
時として何の理由もなく
<気づき>の湖面に微風が起こり
「在るがまま」の<気づき>の湖面が波立ち、
「私は在る」が立ち上がる。
「私は在る」が立ち上がると、
その「私」とは何か?という探求が立ち上がり
「在るがまま」は「現れるがまま」を呼び起こす。
「『私』とは何か?」を、
「現れるがまま」の中に探し求めるかぎり、
「私」は「私」でないものを創造するしかない。
かくて
「現れるがまま」の中では“分離の幻想”が猛威を振るい、
一瞬の内に多次元宇宙という大伽藍が立ち上がる。
「現れるがまま」という“分離の幻想”のなかで
見かけの中に「私」とは何か?を求めるかぎり、
「私」は迷子になるしかない。
なぜなら、
「私」は自らが存在することを知っている
実在する唯一のパワーではあっても、
「現れるがまま」の見かけのなかで
「何か」に成ることはできないからだ。
「私は在る」は、
その宣言自体は真実ではあっても、
それはきわめて危険なあやかしにもなりうる。
われわれは熟睡の中では
至福の中にやすらっている。
ただし、それは無意識の中のこと。
その状態は意識されていない。
だから、ただ「在るがまま」のなかに
やすらっていることは解放ではない。
解放とは目覚めていて意識していること。
「現れるがまま」の可能性に触れながら
「在るがまま」に安らうこと。
映画館の暗闇の中のスクリーンではなく、
映画が上映されているときに
自らがスクリーンであることを知っていること。
「現れるがまま」を映しながらも
自らが「在るがまま」の鏡であることを
知っていること。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(__)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(__)m
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キンドル本の
『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識
https://tinyurl.com/yzemhvs3
手にとっていただけました?(^^;)
読み物として面白ければと思っています。
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■2.編集後記:
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何かを願うことが夢。
ただ自らが存在していることを
知っているだけ。
「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-)
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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