2026-05-31
Vol.1154
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆  ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2026/5/31(第1154号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆──────☆☆──────────────────── ☆☆     ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──  ☆☆   ☆☆      https://www.ascensionkan.com/mm/ ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇このメルマガの趣旨◇◇ アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に 相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。  あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、  それを得たり、培ったりする必要はありません。  あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に  注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi) 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。 ────────────────── ◇◇もくじ◇◇ 1.誰もいない(「静寂」42) 2.編集後記 ────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1.誰もいない(「静寂」42) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ さて、またまた一週間が過ぎて、 “アセンション噺”と “「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。 『アセンション館通信』配達人のpariです。 この永遠の<今>を いかがお過ごしでしょうか? 熟睡しているとき、 われわれには何ひとつ問題がありませんでした。 そもそも問題をもつことができる われわれがいなかったからです。 われわれが平和でいられる唯一のときは、 熟睡しているときです。 つまり、われわれがいないときです。 しかしそれは、 何ひとつ存在していない ということではありません。 なぜなら、こうしていま、 自分が存在していることを知っている われわれがいるからです。 しかし、その表現には語弊があります。 「われわれ」というと、 あたかも複数の個人が存在するかのような 意味合いを含んでしまうからです。 「われわれ」というような複数の個人が 実際に存在するわけではありません。 世界が実際に実在するわけではありません。 なぜなら、 熟睡のなかでは 何ひとつ存在しなかったことを われわれは体験として知っているのですから。 しかしまた “われわれは体験として知っている” と言うと、 そこにはまた語弊があります。 何ひとつ存在しなかったことを 体験として知っている “われわれ”という複数の個人が存在する かのような含意が発生してしまうからです。 何かを知るためには、 その何かという“対象物”を知るための その“対象物”とは異なる実体、 つまり“主体”が存在すると われわれは考えるように仕込まれている。 しかし 熟睡のなかに存在しなかったのは “われわれ”という個人ではありません。 熟睡のなかに存在しなかったのは思考です。 最初の思考である 「私」という観念です。 つまり、 熟睡から目覚めたとき出現したのは、 熟睡のなかには存在しなかった 「私」という観念です。 この目覚めとともに立ち上がった 「私-思考」こそが あらゆる問題の根本原因です。 この目覚めとともに発生した 「私-思考」が、 自らの存在を確立するために捏造するのが 主体と対象物という 根源的分離幻想を根拠とする 現象世界というわけです。 「私は在る」という存在感が 必ずしも偽りというわけではない。 しかし、 その「私は在る」という存在感は、 そこで留まっていなければならない。 I am that I am. 「私は『私は在る』である」 私は自分が存在することを知っている。 そこまでは真実。 しかし、 そこから、 「私は『何か』である」 と言い出したら、それは間違った想像。 それは永遠に唯一不可分の実在から 偽りの分離幻想(マインド)を発生させ、 その幻想世界に誤誘導することになる。 そうなると、 その偽りの分離幻想の帳尻合わせのために 永遠の変化を現前させる。 「黒いオルフェ」はユリディスを追って 永遠に彷徨い歩かなければならなくなる。 熟睡のなかでは何も起こっていない。 しかし熟睡のなかでは 「私は在る」自体が目覚めていないので そこに在る至福も意識されていない。 熟睡は真我覚醒に いちばん近い状態ではあっても、 その状態は意識されていない。 だから、熟睡から目覚めが起こって 「私は在る」が立ち上がると、 それはたちまち 「私は『何か』である」という 間違った想像を引き起こしてしまって その想像は収集のつかない迷路のなかで 途方に暮れることになる。 「私は在る」という存在感は、 「私は『私は在る』である」という 自足した叡智として 源泉であるハートのなかに留まり、 唯一それだけが存在する至福に輝く。 われわれは 何であれ自ら一体化するものになる万能のパワー。 その無限の自由な想像力のなかで 自ら不自由になることさえできる。 ロバート・アダムスのサットサンの エッセンスが編纂された本『ハートの静寂』の 「11章 放棄」という章からの写経を つづけたいと思います。 今回は「*「私」の跡」という一節から そのごく一部をご紹介します。 (相変わらず  常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、  これが本書の出版に関われた方々の  ご迷惑になる無断引用ではなく、  本書の販促に貢献する  無料宣伝となることを願っています。(-||-) ) ──────────────────    *「私」の跡      「私」の跡を追って、源泉へ行き、  解放されてください。  あなたが「私」をその源泉に追うとき、  そのときあなたのすべてのトラブル、  問題、あなたの人生、  あなたの世界が源泉の中に消えてしまいます。  それが起こるまで、  あなたは問題をもっている「私」ではない、  ということを理解してください。  それがポイントです。  時々、落ち込んだり、心配したり、  急いだり、動揺したり、恐れたりするのは、  その「私」です。  そんなふうに感じるのは、  落ち込んでいる「私」ですが、  でもそれはあなたではありません。  あなたはその個人的「私」ではありません。  たとえあなたがその「私」を追っているとしても、  あなたは蜃気楼、  視覚的幻想を追っているのです。  なぜなら、  あなたはその「私」ではないからです。  あなたは絶対的現実、ニルヴァーナ、  サット・チット・アーナンダであり、  あなたはその「私」ではありません。  もしあなたがその「私」でないとすれば、  そのときは誰が問題をもっているのでしょうか?  誰が病気をもっているのでしょうか?  誰が疑いをもっているのでしょうか?  誰が困難をもっているのでしょうか?  たいていの人間がもっている  こういった世俗的な問題を、  誰がもっているのでしょうか?  「私」です。  でも、私はその「私」ではないのです。  でも、「私」がその問題をもっているのです。  あなたは私が言わんとしていることがわかりますか?  その「私」がその問題をもっているのです。  自分(Me)ではなく、  「私」です。  この場合、  「自分」とは、絶対的現実、純粋な気づき、  意識のことです。  それゆえ、  これは今までに発明された  最高の精神療法(セラピー)です。  というのは、  あなたは一歩後ろに下がって、  「私」が問題をかかえているのを  眺めることができるからです。  本当の自分、真我は  けっして問題をもつことができないということを、  あなたは知的に理解することができます。  問題をもつことは不可能なのです。  それにもかかわらず、  「私」は問題を感じます。  あなたはすぐに自分に気づいて、  「はい、私は問題を感じます」と理解します。  おわかりのように、  自分ではなく、「私」が問題を感じるのです。  それから、  しばらくあなたは問題を忘れ、  今度はまた言います。  「私は落ち込んでいる」。  そして、あなたは自分自身に気づき、笑います。  あなたは言います。  「私」は落ち込んでいる、  「私」は憂鬱である、  でも自分(Me)ではなく、  「私」です。それから、  しばらくまた忘れ、  今度は、  「私は具合が悪いと感じる」と言います。  そのとき思い出してください。  あなたは言います。  「私」は具合が悪いと感じる、と。  自分ではなく、  「私」です。  あなたはこれを一日中やっています。    『ハートの静寂』(p234-235)  https://tinyurl.com/4b5dsnb4 ────────────────── 誰が問題を抱えているのか? ロバート・アダムスは 問題を抱えているのは 本当の自分、真我である自分、 純粋な意識としてのわれわれ自身ではなく 括弧つきの「私」、 エゴである「私」だと言います。 ──────────────────  最終的に起こるのは、  あなたは自分の真我から  「私」を分離するということです。  あなたはもはや自分の肉体を「私」として見ません。  あなたは自分のマインドを  もはや「私」として見ません。  しかしあなたが、  「私」は世界の中のあらゆるものだと理解するとき、  「私」はまたこの肉体でもあり、  マインドでもあるはずです。  そのときあなたは、  自分はこの肉体ではなく、  このマインドでもないけれど、  「私」はこの肉体であり、  マインドであることを理解します。  「私」はこの肉体であり、  「私」はこのマインドです。  「私」がすべての問題です。  あなたは自分自身を分離します。  あなたは眺め、  「私」がこれらすべての問題を  もっていることを観察します。  すぐにあなたは自分自身を大笑いすることでしょう。  あなたは自由を感じることでしょう。    『ハートの静寂』(p235) ────────────────── ただこの理解が 日常のあらゆる瞬間の 実感になればいいだけです。   ──────────────────  もしこれを練習すれば、  あなたは  今までに感じたことがない自由を感じることを、  私は確約することができます。  あなたは遍在と内在する至福を感じます。  この肉体は、  一個の肉体としては存在しないことがわかるでしょう。  あなたは自分自身を眺め、  その肉体を見て、笑うことでしょう。  あなたは、  それが自分の肉体ではないことを知ります。  どんな肉体もありません。  それは蜃気楼の中の水のようなものです。  どんな水もありません。  それはそう見えるだけです。  それが肉体のあり方です。  あなたは一個の肉体をもっているように見えますが、  でも本当はもっていないのです。  「私」がその肉体をもっています。  そして、  「私」は本当には存在していません。  あなたはこの啓示を今、理解できますか?  どんな「私」もなく、  肉体もありません。  それでは、  何が「老いて、死ぬ」のでしょうか?  何が病気になるのでしょうか?  何が落ち込むのでしょうか?  その答えとは、  誰でもなく、何でもない、です。  落ち込んだり死んだりする人は誰もいません。  精神的苦痛をもっている人もいません。  何かをするために残されている人も誰もいません。  あなたは完全に自由です。  あなたがこのように感じるとき、  どこへも行くところがありません。  なぜなら、  どこへ行こうと、あなたは真我だからです。  これ以上にあなたを幸福にすることはありません。  それはすべて同じです。  あなたは一つの物と別の物をもはや区別しません。  あらゆる物は、  あなたが物を作るために使ってきた  一塊の粘土のようになります。  でもあなたは、  それすべてが同じ粘土の塊から来ていることを  理解しています。    『ハートの静寂』(p235) ────────────────── 肉体をもっているのは誰か? 「私-思考」がその肉体をもっています。  そして、 その「私-思考」は 今この一瞬に湧いてきただけなのです。 放っておけばすぐに消えてしまう。 どんな実体も存在していないのです。 「私」は本当には存在していません。 どんな「私」もなければ、 どんな肉体もありません。 それでは、 何が「老いて、死ぬ」のか? 何が病気になるのか? 何が落ち込むのか? その答えとは、 誰でもなく、何でもない、です。 ──────────────────  空は青く見えます。  でも、調べれば、空も青もありません。  あなたは何かをやっているように見えますが、  行為者はいません。  実際何かをする必要があったり、  何かをしたりする人は、誰もいません。  だから、  時間と空間といったものはけっしてなかったのです。  あなたはまったく別の次元にいて、  そこではあなたはまるで動いたり、  働いたり、経験したりするように見えますが、  実際は何も為されていないのです。  この状態は考えるのが困難だと私は認めますが、  でもそれが真実です。  今まで誰も何もしたことがありません。  唯一の一なるものだけがあり、  その一なるものはすべてに浸透し、  遍在しています。  唯一の一なるものだけがあります。  もし一なるものがすべてに浸透し、  遍在しているなら、  どこに何かをする余地があるでしょうか?  こういうふうに考えて、眺めてください。  この世界にあなたしかいないとしたら、  あなたが宇宙そのものだとしたら、  すべての惑星、すべての星々、月、地球、  人々、場所、物事は、  あなたの中にあることになります。  あなたは何かをする空間をもちません。  それにもかかわらず、  あらゆることがあなたの中で為されるのです。  それと同じことです。  これが実際あなたについての真実です。  あなたは小宇宙であり、大宇宙です。    『ハートの静寂』(p237-238) ────────────────── 唯一の一なるものだけがあり、 その一なるものはすべてに浸透し、 遍在している。 もし一なるものがすべてに浸透し、 遍在しているなら、 どこに何かをする余地があるだろうか? われわれは ただ他人を想像して、 その間違った想像のなかの他人との関係で 舞い上がり、落ち込み、 苦しんでいるだけなのです。 ──────────────────  あなたが二元性、無知の中で働くとき、  あなたは小さい人間のように見えます。  あなたはあたりを見まわし、  自分と同じような何十億の人間を見ます。  あなたは彼らと議論し、戦い、愛します。  あなたは仲間の人間といっしょに  様々な活動をします。  でもあなたが自分自身に対して働きかけ、  意識の中を上がり始めるとき、  何かがあなたに、  唯一の一なるものだけがあると告げます。  あなたと私、がいるわけではありません。  「私」だけがあります。  そして、その「私」は存在していません。  それゆえ、  存在している物で、  あなたが理解できるものは何もありません。  存在といったようなものはないのです。  宇宙を創造する神はいません*2。  何かを起こしているどんな存在もいません。  最高の真理とは何も起こっていない、  ということです。    『ハートの静寂』(p238)  https://tinyurl.com/4b5dsnb4 ────────────────── 実際は、 目覚めた唯一の自分が実在しているだけ。 「私は『私は在る』である」 の理解のなかに踏みとどまるなら、 唯一の一なるものだけがあるだけ。 何かを起こしているどんな存在もいない。 実際は、何も起こっていない。 (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、  それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。  『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。<(__)> (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(__)m   ………○…………○…………○……… 「ニサルガ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号は すべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/   ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム: http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702   ………○…………○…………○……… ▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518   ………○…………○…………○……… キンドル本の 『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識 https://tinyurl.com/yzemhvs3 手にとっていただけました?(^^;) 読み物として面白ければと思っています。   ………○…………○…………○……… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 目に見るもの、 耳で聞くこと、 感覚で知ることはすべて夢。 経験はすべてエゴの夢。 ただ自らが存在していることを 知っているだけ。 「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-) お休みなさい。 (-||-) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ────────────────── mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2026 paritosho ──────────────────
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