━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2026/6/7(第1155号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇このメルマガの趣旨◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇もくじ◇◇
1.至福とは何か?(「静寂」43)
2.編集後記
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■1.至福とは何か?(「静寂」43)
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さて、またまた一週間が過ぎて、
“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ロバート・アダムスのサットサンの
エッセンスが編纂された本『ハートの静寂』の
「11章 放棄」という章からの写経を
つづけたいと思います。
前回に続いて「*「私」の跡」という一節から
後続する一部をご紹介します。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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あなたが本当に熟睡して目覚めたとき、
もし自分に気づけば、
気分がいいことがわかるでしょう。
あなたは素晴らしく感じます。
あなたが考え始めたときだけ、
気分が変化します。
それを自分で確かめてください。
なぜでしょうか?
本当に熟睡は至福だからです。
でも、それは無意識の至福です。
解放は意識的至福です。
解放は、
あなたが目覚めて、
意識しているときです。
あなたは特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識しています。
それが解放です。
ですから、
あなたが自分の外側に何かを見て、
それに巻き込まれるとき、
自分に気づいてください。
それは自分から来ていることを理解し、
質問してください。
「それは誰に来ているのか?」と。
あなたがそれです。
皆さんの多くがハイキングへ行ったり、
山へ登ったり、
自然の一部になることが好きだということを、
私は知っています。
そのことは問題ではないですが、
でもこれらの物事が
自分の外側にあるとは信じないでください。
これらの物事はあなた自身です。
あなたがそれです。
解放は、
あなたが目覚めて、意識しているときです。
あなたは特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識しています。
それが解放です。
ですから、
あなたが自分の外側に何かを見て、
それに巻き込まれるとき、
自分に気づいてください。
それは自分から来ていることを理解し、
質問してください。
「それは誰に来ているのか?」と。
あなたがそれです。
皆さんの多くがハイキングへ行ったり、
山へ登ったり、
自然の一部になることが好きだということを、
私は知っています。
そのことは問題ではないですが、
でもこれらの物事が
自分の外側にあるとは信じないでください。
これらの物事はあなた自身です。
あなたがそれです。
『ハートの静寂』(p240)
https://tinyurl.com/4b5dsnb4
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ここでロバート・アダムスは
解放とは何かを端的な言葉で
伝えてくださっています。
われわれが知っている体験では
熟睡こそが至福の体験なのだが、
ただ、それは無意識の至福なのだと。
しかし、せっかくの至福も
無意識に体験されたのでは
それは解放とはなりえない。
実際は自分こそが至福であり、
至福を求めて自分以外の
他のどこを探す必要もないのだが、
ただ自分がそれを知らなければ、
それは宝の持ち腐れ。
どこまでも外側の見かけのなかに
至福を求めて
虚しい放浪の旅を続けなければならない。
自分こそが至福であることを
自分自身が知らなければならない。
そのためには自分自身が至福であることを
自分で知らなければならない。
熟睡のなかで体験された至福は
解放にはなり得ない。
意識的至福しか解放ではありえない。
解放は、われわれが目覚めて、
意識しているときにしか起こりえない。
とはいえ、
通常、われわれが朝目覚め、起床して、
一日中意識しているとき
われわれは至福を体験していない。
では何を意識していなければならない
というのか?
ロバート・アダムスは
特に何かを意識する必要はない、と言います。
【あなたは特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識しています。
それが解放です。】
と。(@_@) ⌒★?
ん、ん!(?_?)
いったい、どゆこと?
> ですから、
> あなたが自分の外側に何かを見て、
> それに巻き込まれるとき、
> 自分に気づいてください。
外側の見かけのなかで展開されている
状況にハマっているとき、
ふとハマっている自分に気づく。
> それは自分から来ていることを理解し、
> 質問してください。
> 「それは誰に来ているのか?」と。
あ、この見かけは
自分から来ているんだった。
「この見かけは誰に来ているのか?」
> あなたがそれです。
「この見かけは自分だった」
これらの物事は
自分の外側にあるわけではなかった。
「この見かけは自分だった」
自分しか存在していないのだから。
気づいている自分以外に
何ひとつ自前で存在するものはないのだから。
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「これは誰に来ているのか?」と質問するとき、
あなたは再び理解します。
「それは私に来ている、
私がそれを認識している」と理解します。
それからあなたは、
あなたが
「私」(エゴ)ではないことを思い出します。
「私」(エゴ)がそれを認識します。
でも現実には、
あなたはその認識者ではありません。
あなたはその観照者ではありません。
「私」(エゴ)がそれを認識します。
「私」(エゴ)がその観照者です。
これは非常に重要なポイントです。
私はあなたにそれを理解してほしいと思います。
なぜなら、
それはあなたの全人生を
変える可能性があるからです。
あなたが世界で何を見ても、
「私」(エゴ)がそれを認識していると
理解してください。
でも、
「私」(エゴ)を真我だと見なさないでください。
あなたは自分自身に気づいて、
「私」(エゴ)が認識しています、
と言わなければなりません。
これは、
あなたがそれを認識している
という意味ではありません。
それを認識しているのは「私」(エゴ)です。
あなたが自分自身を
その「私」(エゴ)から分離するとき、
すべては何でしょうか?
意識です。
あなたが「私」(エゴ)だと信じるとき、
あなたの人間性が活動します。
あなたが、
「私」(エゴ)は世界であることを認識するやいなや、
あなたは自分自身を
「私」(エゴ)から分離しました。
すると、
意識が活動し、あなたは目覚めます。
言い換えるなら、
あなたがあなたの「私」(エゴ)から分離できるとき、
あなたは目覚め、解放されるのです。
『ハートの静寂』(p241-242)
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これは誰に来ているのか?
これは私に来ている。
それは確かだ。
私がこれを認識している。
しかし
わたしはこれを認識している「私」(エゴ)ではない。
わたしはこれを認識しているpari(エゴ)が
外側の見かけの中にいる対象物であることを
知っているのだから。
この見かけの状況を認識して対応しているのは
同じくこの見かけの中にいるpari(エゴ)だ。
この見かけの認識者はpari(エゴ)だ。
この見かけの観照者はpari(エゴ)だ。
わたしはこの見かけの観照者ではない。
この見かけの状況も、
この見かけの状況を認識し、
それに対応しているpari(エゴ)も、
どちらもわたしではない。
わたしは自分自身に気づいている。
pari(エゴ)がこの見かけの状況を認識している。
しかし
この見かけの状況を認識しているpari(エゴ)も
この見かけの状況の一部にすぎない。
わたしはこの見かけの状況の認識者である
pari(エゴ)ではない。
わたしは自分自身に気づいている。
わたしが自分自身を
見かけの状況の認識者pari(エゴ)だと信じるとき
わたしの人間性が活動を開始する。
わたしがpari(エゴ)は世界だと認識すると、
わたしは自分自身をpari(エゴ)から分離できる。
わたしが自分自身を
pari(エゴ)から分離できるとき、
わたしは目覚め、解放される。(@_@) ⌒★?
(-||-)
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このゲームを毎日おこなってください。
あなたは何を見ても、
それが自分の肉体であれ、
マインドであれ、他の人々であれ、
誰かがあなたの気に入らないことをするとき、
あなたがおこないうる最悪のことは、
反応することです。
なぜかわかりますか?
なぜなら反応するとき、
あなたは自分の人間性を肯定し、
あなたのエゴが強化されるからです。
しかし、
あなたがもはや反応せずにいると、
エゴはどんどん弱くなります。
「私」とエゴは同じものです。
皆さんの多くは、
人生のひどい出来事、
人間の人間に対する非人道的行為、
テレビで目にするすべての卑劣な物事を見るとき、
それらから自分自身を切り離したくなります。
でも、
よい物事も同じなのです。
あなたはよい物事でもなければ、
悪い物事でもありません。
あなたはどんな物事でもありません。
悪いものをよいものと
取り替えようとはしないでください。
自分自身とゲームをしてください。
あなたが美しい夕日のことを考えるときいつでも、
自分自身に気づいてください。
自分自身に、
「これは誰のところへ来ているのか?
それは私のところへ来ている。
私がそれを認識している」
と尋ねてください。
あなたが「私とは何か?」を尋ねる前に、
覚えておくべきことは、
あなたはその「私」ではない、ということです。
認識する「私」はあなたではない、
ということです。
『ハートの静寂』(p243-242)
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これからわたしは思い出せるかぎり、
可能なかぎり、
このゲームをすることにしよう。
わたしは至福に還りたかった。
でも、
至福というのが
【特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識している】
ことだとは知らなかった。
もっと何か特別なことだと思っていた。
【特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識している】こと。
これならたった今の自分にも可能なことだ。
とはいえ、
見かけの状況の中で
何かを求めているかぎり、
わたしはただ意識していることはできない。
わたしが見かけの状況の中で
何かを求めているとき、
つまり自分が何かを求めているとき、
あるいは何かを考えているとき、
それは自分が
「私」(エゴ)を活性化させているのだと
思い出さなくてはならない。
人間が活性化しているとき、
ただ意識していることはできないのだから。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(__)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(__)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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………○…………○…………○………
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キンドル本の
『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識
https://tinyurl.com/yzemhvs3
手にとっていただけました?(^^;)
読み物として面白ければと思っています。
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■2.編集後記:
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至福というのが
【特に何を意識しているわけでもなく、
ただ意識している】
ことだとは知らなかった。
ニサルガダッタ・マハラジが
「ただ在りなさい」と
しつこく言っていたのは
そういうことだったのか。
「在るがまま」の自分に感謝します。(-||-)
お休みなさい。
(-||-)
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■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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