2026-07-26
Vol.1160
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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━   ☆☆   ☆☆  ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2026/7/26(第1160号) ☆☆   ☆   ☆☆ ☆☆──────☆☆──────────────────── ☆☆     ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──  ☆☆   ☆☆      https://www.ascensionkan.com/mm/ ━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◇このメルマガの趣旨◇◇ アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に 相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。  あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、  それを得たり、培ったりする必要はありません。  あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に  注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi) 内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。 ────────────────── ◇◇もくじ◇◇ 1.問題にしがみつく者 2.編集後記 ────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1.問題にしがみつく者 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 自分が幸福を願っていることを 疑う人はまずいません。 ところがどうやらわれわれは 自分が幸福であることを望んでいない。 自分にはまったく問題がない、 というただこれだけのことを、 われわれはけっして信じようとしないようです。 どうやら明らかに問題を手放したくないのです。 そんな不思議なことが起こっています。 さて、またまた一週間が過ぎて、 “アセンション噺”と “「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。 『アセンション館通信』配達人のpariです。 この永遠の<今>を いかがお過ごしでしょうか? サットサンの編纂本『ハートの静寂』のなかで、 ロバート・アダムスを通路とする真我は、 再三再四、いろいろな場面で 【どんな問題もありません。】 と保証しています。 『ハートの静寂』にたどり着いた意識は、 なんとかその言葉を信じたいと思います。 ところが、 この【どんな問題もありません。】 というたったこれだけの単純なメッセージでも、 それを即座に信頼できる者がまずいないことは 想像に難くありません。 というより、 この「わたし(pari)」自身が どんな問題もないことを得心していない。(-_-;) われわれは幸福であることを望んでいます。 けっして不幸を望んでいないはずです。 それなのに、実際は、 どうやらわれわれは明らかに 問題を手放したくはないようなのです。 なのに、 自分が出会った正真正銘のサットグルと認める方が、 【どんな問題もありません。】 と何度も何度も保証してくださっているのに、 わたしはそれをそのまま信頼することができない。 これは、どういうことなのか? このことが単純に暴露しているのは、 われわれが自分だと思っているその人物は、 どうやら問題を望んでいるという事実です。 われわれが自分だと思っているその当人は、 けっして幸福を願ってはいないらしいのです。 われわれが自分だと思っているその人間は、 明らかに不幸を手放したがらない。 問題はあるという自説に必死にしがみついている。 その問題があるという証拠を 「現れるがまま」の状況に注目することで 証明しようとしているのです。 ロバート・アダムスのようなサットグルが、 【どんな問題もありません】と述べているのは 実際の「あなた」には、という意味です。 実在する唯一の意識である 「あなた」にはという意味です。 実際にはそれしか存在していない。 しかしその実在する純粋な意識は、 けっして姿を現しません。 なぜなら、 それは対象物にはなりえないものだからです。 それは絶対の主体性、 あらゆる「現れるがまま」の“見かけ”の 背景に広がる何も無い空間。 実在する純粋な気づきです。 それはけっして知覚の対象物にはなりえない。 そしてそこにはどんな問題もありえない。 なぜなら、 すべてに浸透する何も無い空間に いかなる分離もありえないからです。 現れに目を向けるかぎり、 マインドの驚くべき驚異的な幻出力が発揮され、 そこにはたちまち幻影が展開します。 しかしそれは実在していない。 それが証拠には、 「現れるがまま」の“見かけ”は けっして留まることが出ない。 “見かけ”は絶えざる変化によってしか “見かけ”であり続けることはできないからです。 実在する永遠の不動である純粋な気づきに対して いかなる不動も姿を現すことはできません。 「現れるがまま」の“見かけ”は つねにただのつかの間の幻影にすぎません。 その“つかの間の幻影”は誰に現れているのか? “見かけ”は“わたし”に現れている。 【その“わたし”とは何か?】 それは実在するのか? すべてに浸透する何も無い空間は 自分自身以外の何かをもつことはできません。 すべてに浸透する何も無い空間は いかなる分離も包含することができません。 すべてに浸透する何も無い空間には いかなる分離もありえない。 そして そのすべてに浸透する何も無い空間だけが 実在するのです。 ロバート・アダムスのようなサットグルは、 その「在るがまま」の純粋な気づきに注目しなさい、 と促し続けます。 なぜなら、それがあなただからです、と。 いまこの瞬間に存在しない すでに過ぎ去った過去の状況に対する後悔や、 まだ現れてもいない未来の状況に対する心配など、 マインドの中の「現れるがまま」の状況に注目するかぎり、 つねに必ず問題はあるように見える。 不幸を手放したがらないのは、 普段われわれが自分だと思っている その「現れるがまま」の幻影に現れる人間です。 その人間は問題を想像することで生きている。 なぜなら、 人間は問題のなかでしか生きられないから。 「私は在る」は真実と幻影の狭間です。 「私は在る」は虚偽ではない。 しかし、 「私は何かで在る」は虚偽であり、 経験を苦しむのです。 (-||-) ──────────────────  あなたは在る。  ほかのすべては現れにすぎない。    『私は在る』(p421) ────────────────── (-||-) ──────────────────  永久的なもの、  それはあなた自身の存在である。  真我として在りなさい。  それが至福である。  あなたはいつもそれなのである。  『あるがままに』(p58) ────────────────── ……。(-_-) ありがとうございました。<(__)> (-||-) 今日はこんなところで。 ……。 m(__)m   ………○…………○…………○……… 「ニサルガ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/ndic/ 「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。 https://www.ascensionkan.com/rdic/ おこがましくも『アセ通』既刊号は すべてここに置いてあります。 https://www.ascensionkan.com/mm/   ………○…………○…………○……… キンドル本の 『地球世界はかなり特殊』(1)地球の常識は外宇宙の非常識 https://tinyurl.com/yzemhvs3 手にとっていただけました?(^^;) 読み物として面白ければと思っています。   ………○…………○…………○……… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2.編集後記: ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ わたしは問題を手放す。 すべての運行を司る方にお任せします。 よろしくお願いします。(-||-) お休みなさい。 (-||-) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 【作者】『アセンション資料館』主人pari ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp ────────────────── mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyleft(C)2026 paritosho ──────────────────
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